小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

BS歴史館、「2.26事件」を中国人民解放軍と考える:

BS歴史館、「2.26事件」を中国人民解放軍と考える:

 

学生時代には、随分と、色々、軍国主義に陥る発端となったこの事件に関する北一輝の関連書物や、松本健一等の著作を、読んだものであるが、裁判記録の内容を精査する最新の研究などによると、青年将校側には、必ずしも、一枚岩ではなかったこと、又、満州へ、派遣される前に、蹶起する必要が一部の青年将校の中には、そういう事情があった事実、或いは、テロから、合法主義への転換点などの事実、なかなか、興味深いものがある。「改造主義者」と「天皇主義者」、(耽美主義者といってしまうと、三島由紀夫には、叱られてしまいそうであるが、、、、、)そういう皇道派青年将校内部でのイデオロギー(?)対立というか、もっとも、天皇主義派は、どちらかというと、陽明学ではないが、その思い立った抑えることの出来ない心の赴くままに即行動するという心情こそが、より大事であるから、蹶起後のグランド・デザイン的図面は、どうでも良かったのであろうか、そうなると、イデオロギーとはいうものの、どちらかというと文学青年肌の心情的青年将校達と改造主義派との混成部隊であったとも云えなくもない。この番組の中で、中でも、大変興味深かったのは、結果として、明治期・大正期の経験を積んだ老獪な老軍人達が、これをきっかけに、老害という形で、「合法的」に、(引退・退官と言う形で)駆逐され始め、実務官僚、法的にも、経理的にも、数字に、実務にも精通した「中堅実務官僚」が、実権を掌握して行く過程であろう。それは、昭和天皇による明治帝国憲法への「民主的(?)な尊重」という皮肉な足枷により、(朕の大切な股肱の重臣を殺害せし者達への怒りという皮肉な断罪結果の反省から)一人一殺や組織的なテロによるのではなく、飽くまでも、合法的な総合的な方策、即ち、軍部のみならず、財政、外交、内務、各省を横断的に、影響協力を有する「現場の中堅実務革新官僚達」が、とりわけ、後の石原莞爾らの所謂、満州国建国に関わる「革新官僚の登場」へ、道を拓きつつ、その延長線上で、皮肉にも、必ずしもイデオロギー上、意にそぐわない統制派、東条英機等の登場へと繋がると、どうも、ファシズム研究では、これまで、日本浪漫派では無いが、イデオロギーというよりは、文化的な系譜の延長線上で、論じられることが多くて、(橋川文三)、或いは、橘孝三郎らの農本主義との結合や、家の光運動とも結合して、下から、支えていたような分析があるものの、(それはそれで、むろん、歴史的な分析で、価値あるとは信じるが)中堅実務官僚、革新官僚の研究は、今日、どんなものなのであろうか?2.26事件が、仮に、青年将校らが、成功していたらと云う仮定よりも、むしろ、逆に、もし、起きていなかったら、どうなっていただろうかと言う方が、何とも、より興味が沸くではないか。それとも、やはり、強固な官僚組織の中から、テクノクラート中心の軍・官・産・学協同体組織が、歴史的必然として、結局、生まれてきたのであろうか?同じ官僚でありながらも、戦後の吉田茂と広田剛毅との処遇の違いは、単に、前者が、軍部に、睨まれてしまって、左遷されたことが、彼を戦後、宰相の座に押し上げ、逆に、後者が、占領軍から、死刑宣告された一因にもなったのだろうか。いずれにせよ、「実務官僚組織としての日本軍」の内部の分析、とりわけ、「革新実務中堅官僚の研究」という視点も、大変興味あるし、今日的に見ても、それは、例えば、中国でも、「太子党」や「共青同出身らのグループ」と各地域グループなどの派閥や、「官僚組織としての人民解放軍の研究」は、誰か、日本人の学者の中で、専門に行なっている人物がいるのであろうか?それとも、アメリカの学者の方が、詳しいのであろうか?2.26事件から、敷衍して、そんなことも考えてしまった。同じことは、北朝鮮にも、云えるのであろうか?現に、一大官僚組織としての軍の存在は、党組織としての中核である党や共靑同とは別に、国の中で、どのような内実的な役割を担っているのか、中国も北朝鮮も、実際には、どうなのであろうかと、この番組を観ながら、ふと、思い立った。そういう軍内部のイデオロギー分析のような研究は、一体、日本の学者の中で、或いは、防衛省の内部で、専門に、行われているのであろうか?奇しくも、2.26事件は、1936年の今日、この日である。