小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

古関裕而と作曲

古関裕而と作曲

NHKの朝ドラは、それ程、興味もなく、又、その題材によって、これまでも、連続して、観たり観なかったりするが、別に、主演女優や主演男優や脇役陣や、注目の売り出し中の若手俳優にも、それ程、興味が湧く歳でもないものである。新型コロナ禍の中、家籠もりの中で、たまたま、作曲家としてコロンビア・レコード特約契約したにもかかわらず、一曲もヒット曲も、レコーディングも出来ずに、その才能に苦悩し、自分を推薦してくれた山田耕筰に出向くシーンが、目にとまり、というよりも、新型コロナで急逝した志村けん山田耕筰を演じていたからなのかも知れないが、その後、何故、生涯を通じて、5000曲以上の作曲を手がけた偉大な作曲家として名声を得るに至ったのかを、何故か、知りたくなり、観ることになった。

1909年、福島県出身で、後に、作詞家としての野村俊夫、歌手の佐藤久男(四三男)とともに、福島のコロンビア三羽がらすと謳われることになる。それにしても、作曲のジャンルが、広範で、歌謡曲戦時歌謡曲(軍歌と総称されるのであろうか)、映画音楽、ラジオ主題歌、ミュージカル、スポーツ行進曲、マーチ行進曲、社歌、校歌、地域都市の歌、県民歌、等、とりわけ、私が、興味を抱くのは、生まれた時代が悪かったのか、どうか分からぬが、西条八十らと共に、戦線慰問と共に、国策である軍歌によるプロパガンダに組み入れられるという時期と作曲創作時期が不幸にも一致してしまったということだろうか?その歌詞の言霊を作曲するメロディーに乗せて、あるときは、鼓舞し、あるときは、反戦の思いを隠し、暁に祈るや若鷲の歌(予科練の歌)や所謂、数々の戦時歌謡曲と称する所謂、軍歌には、複雑な思いが反映されていて、これにより、戦場に送られて戦死した数多くの人々に思いをはせるときに、忸怩たる思いを抱きながら、やがて、それは、戦後の長崎の鐘(サトー・ハチロー作詞)という形で、鎮魂歌として、結実してゆくことになる。それは又、イヨマンテ(佐藤久男による歌唱)や怪獣映画、モスラの中で、ザ・ピーナッツが、インドネシア語で歌ったモスラの歌の中にも、平和記念とアジア民族への井鎮魂が含まれているのかも知れない。そんなことをしない私たち子供達は、映画の中で、モスラよ、モスラ、、、、、、、訳も分からず、お題目のように、呪文のように唱えて真似したものである。今や早稲田の第一応援歌となった、紺碧の空、慶応の我ぞ覇者、そして、高校野球栄冠は君に輝く、恐らく、古関は高等学校野球大会や六大学野球だけでなく、戦時下の神宮外苑での学徒出陣式にも、複雑な思いを抱いたことであろう、さもなくば、戦時下の検閲の厳しい中で或いは数多くの制約と政治的な圧力の中であれ程の軍歌を、今日に至るも歌い継がれているような数々の軍歌を作れなかったのではないかと思われる。未だ、JRが、省線という茶色の電車だった頃、私の子供時代には、傷病傷痍軍人が駅頭や社内で、松葉杖とアコーディオンで、白い軍帽と軍服を着て、旨の前には、賽銭箱ならぬ募金箱を掛けて、ジッと座っていたり、或いは、車両を廻って募金を迫ってくる記憶が頭の底に残っている。とりわけ、耳の底には、暁に祈るや若鷲の歌などが、どういうわけか、そのメロディー・ラインが、駆け回る。戦後のマーチや行進曲、六甲おろし巨人軍の歌とか、スポーツを古関はやらなったせいなのかは、知らぬが、スポーツショー的なメロディーは、子供時代に、とりわけ稲尾全盛の三原西鉄黄金時代の日本シリーズのテレビ中継に際しては、胸躍らせながら、テレビの前で、今か今かと待っていたことを想い出す。それらの作曲を手がけたのが、後に、欣ちゃんの家族揃って歌合戦で、ニコニコしながら審査員席に座っていた人だとは、、、、、、、後に知ることになる。舞台でも、菊田一夫と共に、演劇音楽でもタッグを組んだことは、記憶に新しいが、それにしても、島倉千代子の東京だよおっかさん(野村俊夫作詞)などのメロディーは、どういう訳か、耳の奥底に、残っていて、闇市の混雑と一種の臭いと共に、記憶の片隅にメロディーラインが蘇ってくるものである。トンガリ帽子の赤い屋根というラジオ放送の主題曲も、或いは、高原列車はゆくや、君の名は、のメロディーや有名なナレーションは、恐らく、亡き母の世代が夢中になって聞いていた時代のことだが、未だ幼児期の私たちにも、知らぬ間に、記憶の片隅に焼き付いているようである。早慶戦での肩組み合って、謳った応援歌も、今年は、新型コロナで、新入生達は味わえないし、栄冠は君に輝くも、難しそうである。

シンガーソングライターは、自分の好きな歌だけを作詞・作曲し、謳うだけなのであろうか?それは謂わば、自分の世界観だけを貫くだけで、生活のために作るという謂わば、時勢に媚ながら、媚びなくても、多少曲げたり、妥協したりしないと生きてゆけないのであろうか?或いは、そうこうしている間に、才能が枯渇してしまうのであろうか?一曲でもヒットさせることが大変な世界で、50年も或いは、5000曲も、数多くのメガヒットを飛ばせるコツとは何なのであろうか?