小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

三浦春馬の自死と嘱託殺人に思う:

三浦春馬自死と嘱託殺人に思う:

 別に、この歳にでもなれば、イケメン俳優の追っかけでも、芸能週刊誌キャンダル好きでもあるまいし、ただ、何かの折りに、NHKの番組だったか定かでないが、ミュージカルの舞台に挑戦する若手舞台俳優を、その役作りの裏側を特集するような形で、取り上げていたのをたまたま、観ただけのことである。多少は、ミュージカル俳優であるくらいは、知ってはいたものの、子役時代から地道に着実に、様々な映画や舞台も含めて、キャリアを積みながら、着実に成功の会談を上りつつあるという時期での事である。従って、その舞台の役作りとして、女装をして、しかも、実生活の中で、舞台と同じ10cmもある高さの女性用ハイヒールを履きながら、生活し、どういう気持ちであるかを実感するために、彼は、そういう眼に見えない訓練を積んでいたそうである。又、音楽・ミュージカルだから、ギターや歌唱能力の向上も、仕事とは言え、基礎から学んでいたそうで、その延長線上での海外での活躍を目指す上での英会話も見事にこなしていたと言われている。

 そんな成功を掴みつつある前途洋々とするイケメンで、様々な才能に恵まれた、他人から観れば、順風満帆に観られていた30歳になる若者が、18歳くらいのティーンネージャーとは違って分別ある三十路の若者が、何故、自死を選ばなければならなかったのか?子役時代からマネージメントしてきた事務所の側も、晴天の霹靂だったと、コメントを発しているくらいの衝撃である。 昔、ある人から、<自分よりも歳が若い部下で、実際に、自分よりも優れた才能を有すると者とであったときに、どのように育てるのか、或いは、独立をしたいと言われたときに、経営者としては、どうするのかを、いつも、考えていなければいけない>と言われたことを、何故か、ふと、想い出す。

 だんだんと、歳を重ねてくると、自分よりも若い人達で、才能のある、前途有望な若者が、謂われもない理由で自死を選ぶという事実をみることは、誠に・、心折れる思いがする。我が子をネグレクトしたり、育児放棄したり、児童虐待したりではなくて、多彩な才能に恵まれて、成功と名声を手にしつつある、恵まれた境遇にもかかわらず、(尤も、それはないのかも知れのかも知れないが、、、、、その理由は、永遠に、たとえ、遺書を読んでもわからないのかもしれないが、、、、、)、自死に至るプロセスは、何とも不可思議である。それ以上に、もっと売れない歌手や芸人や大部屋俳優や俳優志望の若者が世の中には、一杯いるのに、、、、、、、。何故?

 時代劇俳優になるための役作りのために、EXILEのあるメンバーは、舞台公演の時にも、木刀を持って歩き、極力、笑わないように努力するとか、立ち居振る舞いも、ダンスとは異なる動きを日常生活の中で、自己規律をいていると言われているが、そういう姿勢は、まるで、宮本武蔵の究極を貫き目指す哲学のようで、日本人好みの、鏡とするような哲学なのだろうか?それにしても、その最後の瞬間に、踏みとどまらずに、突き進んでしまったその瞬間は、どこが、紙一重なのでしょうか?

一方、ALSに苦しむ患者からSNSで知り合った上に、おカネを受託した上で、薬物を投与して、嘱託殺人にとわれた医師が逮捕されたと報道されているが、安楽死以前のモラルの問題で、こちらも、ALSに苦しむ患者の気持ちは、どれほどの人間が、その患者に対する処遇への問題や、患者の立場をどれほど、ALS患者の尊厳を理解出来るのであろうか?私たちは、映画や文学や歴史を通じて、或いは、絵画や音楽を通じて、一定の想像力と疑似体験を通じて、理解は出来るものの、病気の苦しみや死への誘惑や身体が自分の意思通りに動かせないことへのもどかしさや悔しさは、当人でなければ、理解出来ないものなのあろうか?

7年前に、自分も、歩行能力への突然の違和感の自覚から、ALSを疑ってみたことがあるが、それも、せいぜいが、物理学者のホーキンス教授の病気程度の知識からで、結局、脊柱管狭窄症という診断結果で、令和しんせんぐみの参議院議員誕生をきっかけに、調べ直す程度のことだったかも知れない。それでも、ほったらかしに、何もしなければ車椅子は必至という診断結果から、三ヶ月に亘るウェイティング・リストの末に、5時間に亘る全身麻酔の高度医療を受けて、何とか、今日まで、7年後も日常生活と自立歩行を維持しているが、なかなか、患者本人にしか、分からないものがあるのは事実かも知れない。どんなに、想像力を駆使しても、そこにある壁を乗り越えることは、難しいのではないだろうか? もちろん、安楽死ガイドライン尊厳死の権利という問題以前のことであり、全く論外のことであろうが、、、、。17歳にして、棋聖のタイトルを獲得した藤井聡太という若い天才は、今後長い人生をどのように生きてゆくのかも、とても、興味深いところである。若くして成功を手にした者は、天才ボクサーや若いアイドルと棋士とでは、比較にならないかも知れないが、どのような心境なのであろうか?

それにしても、歳を重ねるに従い、若い前途ある成功を手にしつつある若者が自死を最終的に選ばざるを得なかったことをみるのは、何とも、耐えがたいことであり、又、難病を患いながら、他人に、自らの命を絶つことを懇願しなければ、自分の尊厳を確保・守ることできないというこの社会の現実を、改めて、コロナ禍の下で、曝されると言うことは、誠に残念な事である。長雨に濡れて、花弁がその重さで頭を垂れてしまった擬宝珠の花に支柱を立ててあげることにしようかな、、、、。まだまだ、この雨は止みそうにないようである。晴れ間はいつみられるのであろうか?そして、いつ答えが見いだすことが出来るのであろうか?