小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

街の変容に気付かされる:

街の変容に気付かされる:

東京の家に、住んで既に、60余年も、経過した。小諸の家でも、既に、四半世紀が経過したものである。都会も田舎の里山も、均しく、時間というものは、容赦なく、街を変容させて行く。都会では、既に、少子高齢化の波が、ヒシヒシと浸た寄せてくるのが、実感されてならない。もう、お隣も、斜め向かいも、一戸建ての家が、知らぬ間に、売りに出されている。もっとも、高すぎて、このご時世では、売れないのであろうか?我が老犬の散歩をしながら、周辺の散歩道を歩いていても、既に、人の住んでいない空き家や、売り家が、目立ち始めている。今から、約15年程前であったであろうか?お向かいの大きなお屋敷が、老夫婦が、亡くなられてから、あっという間に、その敷地が、4分割されて、建て売り住宅が、建ってしまった。このお向かいさんは、私の両親が移り住み始め以前から、いらっしゃったお家で、ご近所でも、古い家で、我が老犬は、若い頃、お向かいの勝手口まで、頼まれもしないのに、門番を買って出て、番犬さながらに、活躍してくれたものである。とにかく、一旦、家が売りに出されると、不動産業者が、小さく、切り売りし、販売しやすい価格帯に下げて、売り始めるので、ますます、敷地が、細分化され、樹木は、根こそぎ、無くなってしまう。マンションにでもなろうものならば、途端に、日陰になり、急に、ビル風が、突風のごとく、荒れ狂うことになる。そして、時間と共に、例外なく、年寄りの住む街となり、独居老人の街になろう。既に、その兆候は、周辺の家々を見回して、例外ではない。この地域は、景観条例の恩恵(?)で、3階建ては、近隣の許可条件になっているので、マンションも高層化できにくいが、その分、空き家と独居老人の家が、増加することになる。長男長女の時代だから、家には、困らないのであろうが、一体、今後の街作りは、どうなるのであろうかと、放火騒ぎの記事などを見るたびに、不安にもなろう。以前、小諸の里山で、朝、散歩していると、必ず、決まった時間に、一台の車に出会うことがあったが、何と、デイ・ケア・センターの名前が、大きく、出ており、それ自体には、驚くことはなかったが、その下に名前が、○○託児所・託老所と二つ併記されていたことには、改めて、少子高齢化の時代であることを実感させられたものである。もう、既に、そういう時代なのかも知れない。こちらも、そろそろ、お仲間入りの準備でもすることにしようか?それとも、未だ、早いかな?どんなものであろうか?