小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

再生視聴率の摩訶不思議:

再生視聴率の摩訶不思議:

 

視聴率競争という代物が、云々されて来始めてから、テレビの制作者の間では、「しっかり年季を入れて創ったものに限って、視聴率が宜しくない」と、よく謂われていることを耳にする。もっとも、こちらには、そんなことは、一向に、関係がないのである。テレビ局の広告収入が、減ろうが減るまいが、当方は、良い番組を好き勝手に選べばすむだけで、いささかも、問題はないのである。しかしながら、一寸、この記事には、見逃せないことが、一つだけ感じられる。それでは、ビデオリサーチとか、視聴率の実態情報の収拾とは、実際、リアルタイムで、観られている番組をある種の機器や電話問い合わせを使用して、収集した上で、判定しているのであれば、今日、既に、多様化しつつあるメディアの、とりわけ、テレビへの多様なアクセス、即ち、パーソナル・テレビ化しつつある、ワンセグやフルセグ、PCでのテレビ視聴や、ここで、問題となっている今や、全世帯の半分以上に行き渡ったビデオ録画機の再生による「遅れて視聴する」視聴率は、確かに、これらを勘案すると、一体、本当に、実体的な視聴率を表しているのであろうか、、、、、と、疑問を呈せざるを得ない。成る程、スポンサーには、CMを飛ばされてみられてしまう録画機による視聴率は、甚だ、「不都合な現実」なのかも知れない。そう考えると、随分と、世の中には、こうした「不都合な数字」というものが、実は、結構、隠されているのではないだろうか?我々は、実際には、そんな「疑わしい数字」の中で、繰られているとは謂わぬが、何か、釈然としないこうした「数字のマジック」の中で、生活しているのではないかと、ふと、感じざるを得ない。例えば、経済成長率の指標、物価指数、失業率、貿易統計の数字、銀行間金利、官公庁の数字、賃金指標、等、むろん、中国の大気汚染指数などは、論外の外であろうが、、、、、「実態を反映した真実の数字」とは、一体、如何なる物なのであろうか?よく、若い頃に、「数字の裏に潜むもの」を喝破せよと云われたものであるが、今や、「眼光紙背に徹す」と言っても、イミフメイ!などと謂われかねないが、、、、、少々、考えさせられる。テレビ局や、広告業界の皆様、ご苦労様です。視聴率競争とは無縁な一視聴者より、