小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

「動物と暮らす幸せ」絵画・作文コンテスト記事に思う:

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「動物と暮らす幸せ」絵画・作文コンテスト記事に思う:

 

イジメだとか、児童・動物虐待であるとか、少年の自死とか、全く、暗いニュースに、接する度に、健全な人間ですら、心が痛み、精神が病んでしまいそうになる昨今である。ペットなどの身近な動物を観察し、その気持を思いやって、「動物の笑顔」を題材にして、絵画や作文で、子供達が表現をするという新聞の記事を見かけた。そこには、亡くなった愛犬とのお誕生日会での愛犬の狂おしいほどの嬉しい笑顔の表情が垣間見られたり、恐らく家族であろう人達と一緒に、祝う笑顔とともに、金魚鉢や小鳥たちも、背景にして、描かれていて、大変印象的である。お母さんが手作りしたバースデー・ケーキを前にして、お父さんとおぼしき人が、犬のゴンの好物であろう骨を持ちながら、お姉さんと並んで、拍手しながら微笑んでいる少年の笑顔は、何と、微笑ましいことであろうか?何故か、自然と、涙腺が緩んできてしまう。(最近、歳のせいだろうか、雲を観たり、絵本や本を読んでいても、涙腺が、しばしば緩むことに気付かされる、笑)しかも、それが、既に、過去にあった愉しかった愛犬、ゴンとの想い出であったと云うことを、「桜の下のお墓」という言葉で、初めて知るのである。ここまで来ると、涙が、溢れ出てきてしまう。祖母ちゃんチの17歳でなくなったココと言う犬の笑い顔、病気の時に、看病してくれたエドという愛犬のこと、双葉町から避難してきて、家族と離ればなれになり、一時預かっているピーちゃんという犬のこと、そしてその家族との再会の様子のこと、お祖母ちゃんの家で、泣いてばかりいた子犬が、ギュッと抱きしめてあげた途端に、泣き止んで、初めてコロコロと笑ったので、コロと命名した子犬のこと、等々、どの作品をとっても、動物を通じて、その同じ「命を尊重しあう」優しい心や気持だったり、「家族の一員」としての絆だったり、物言えぬ動物という相手の気持ちを「忖度」する小さな子供達の力、何よりも、「命と真摯に、向き合おうとする」そうした姿勢、力が、或いは、限りある「命との別れ」を実感・確認するそうした辛い経験を通して何かを学ぶ力が、この子供達には、しっかりと根付いているのではないかと、感じられてならない。年賀状で元気に写真に写っていた小さな甥っ子や姪っ子達は、どうしているかと、思いを巡らしてしまう。間もなく、満18歳を迎えようとする我が老犬は、相変わらず、しっかりと、いつものように、決まって、丸まって、軽い寝息とともに、午睡中である。少し、心の中に「晴れ間」を観たような気がしてならない。