小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

田植えに思う

田植えに思う
日本の文化は、米の文化である。天皇が、毎年、自ら、手植えの田植えを行うのも、古来の宗教的な儀式の代表的なモノの一つである。新嘗祭が、いつの間にか、勤労感謝の日に、なってしまったのも、訳が無いわけでは無い。田植えも、食育や農耕的な勤労という観点からは、多いに、教育上、評価されて然るべきである。日本のものつくりの原型も、子供の時から、こうした経験を積んでいれば、むやみやたらに、フード・ロスや、我慢強さを忘れたキレる子供も、少なくなるのではないだろうか、又、蛙や、小動物や水生昆虫との共生、或いは、農薬に対する考え方も、有機や減農薬などの意識も、変わり、自分で、田植えをした稲を育て、刈り取り、食することは、加えて、ものつくりの考え方を、改めて、根本から学ぶよい機会になるのではないだろうか?又、同じ作業を繰り返すことにより、単純労働作業のつらさ、大変さ、モノを作る人への感謝、生産者への連帯、苦労の共有、モノの有り難さをも、体感できるというものである。自ずと、作業しているときに、工夫も自分なりに考えて、マニュアルを読み、学ぶ人から、自分で考えて、創造する姿勢が、作られてくると思う。この作業を小さいときから、お手伝いとか、小遣い稼ぎとか、昔の人は、当たり前に、やってきたものであるが、今の我々には、そうした機会が余りにも、乏しく、だから、若い人達に、キッザニアやしごと発見伝やリアル・スコープのような番組に人気が集まるのであろうかとも思われる。陽に当たり、外の空気を吸い、五体を動かすことこそが、日常的に、現代人には、必要なのかも知れない。それが、ニッポンの再生に、一番、近道ではないかとも、思う次第であるが、、、、、、。如何なものであろうか?


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