小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

ボストン美術館、日本美術至宝特別展を覗く

ボストン美術館、日本美術至宝特別展を覗く
美術館での鑑賞は、事前に、新聞論評などで、話題になっている目玉の作品を鑑賞することも、一つの愉しみではあるが、その予想に反して、それ以上に、予想だにしていなかった作品に、出会うことも、又、愉しみである。そうした感動は、何か、自分だけの発見をしたかのような錯覚に陥り、これまた、愉しいものである。長谷川等伯尾形光琳、曽我簫白等の屏風図は、言わずもがな、又、海を渡った二大絵巻(吉備大臣入唐絵巻と平治物語絵巻)も、さることながら、伊藤若冲や、奈良・平安・鎌倉時代の仏像、曼荼羅図など、中世水墨画や初期狩野派による蒔絵、近世絵画、刀剣、染織まで、どれ一つをとっても、日本の秘宝コレクションといっても、差し支えあるまい。個人的には、こうした著名な作品よりも、むしろ、アメリカを魅了した小袖や能衣装の10領は、初公開で、なかなか、興味深いものがある。着物の染織は、成る程、後ろから、或いは、前からと、両方から、鑑賞して初めて、その染織の技巧・技術、デザイン性、色調、作者の創作意図とストーリー性とかが、初めて、理解されるものであることを、再認識した。それと同時に、これを召したであろうその人の人生、人となり、又、その情景、等が、想像されて、とても、愉しいものである。もっとも、それを手放さざるを得なくなった時の思いを、想像すると、何とはなしに、切なくなるのは、仕方ないことであろうが、、、、、。トレーサビリティーではないが、どのような理由で、誰の手を経て、海を渡ったのかが分かれば、更に、興味深いことであろうか?美術的な価値とは、事情はともかくも、現存すること、それ自体が、やはり、それなりの価値が、あるのであろうから、、、、、皮肉なものである。フェノロサは、さておき、ウィリアム・ビゲローは、天台宗の月心という法号まで、取得した日本美術の理解者だったからこそ、遠く、ヒンドゥー教の影響を醸した仏画や、曼荼羅絵図が、今日、こうして、奈良や平安時代から、タイム・スリップして、我々の眼前に、見られるのは、ほとんど、奇跡としか言いようがない。観覧者、個々人の作品に対する好みはあるであろうが、遠い昔の原作者の思いに、直接、思いを馳せること、心の眼で、時空を超えて、直接対話することが、出来ることは、美術鑑賞の大いなる愉しみであることは、疑いもない事実である、上野公園の桜も、満開に、近づきつつあるようだ。そして、スカイ・ツリー・タワーも、顔を覗かせていた。様々な手法で、「日本の美」を、堪能できる美術展覧会である。