小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

千曲ワインバレー・テイスティング循環バス:

千曲ワインバレー・テイスティング循環バス:

もう、30年程も昔の事であるが、米国に駐在していたときに、輸入ワインの輸入で、ナパ・バレーやワシントン州の小さなワイナリーを車で、駆け巡ったことを思い起こす。長野県は、県を揚げて、各地方の千曲川日本アルプス、桔梗ヶ原、天竜川沿いと言った具合に、千曲川ワインバレーでも、既に、大小含めれば、25社のワイナリーが、良質のワインを醸造している。ワインの樹を植樹することから、それこそ、選定や、収穫、醸造体験なども含めて、体験型のマイクロ・ワイナリーによる地域起こしが、大変盛んであるし、都会からの移住も含めた、新規起業や新規参入も、可能になりつつある。りんご栽培からの転作も、耕作放棄地の再生も、なかなか、盛んになりつつある。そんな現在進行形の中で、軽井沢駅小諸駅と田中駅と上田駅を、線で結ぶように、各ワイナリーを千曲バスによる循環バスサービスで、広域的に、地方に、ワイン好きの方達に、チーズややグルメ・カフェも含めて、テイスティングして貰いながら、ワインを購入して貰い、お金が循環するように、引いては、地元の活性化への繋がるように、イベントが、9月中旬から12月中旬までの土日週末に、開催されるという宣伝のビラが、東京の自宅の新聞折り込みに入っていた。成る程、顧客は、都会の不特定多数が、ターゲットなのであろうか?一つ一つは、小さな点でしかないが、これらを広域的に、線で結び、互いに、結びつきつつ、独自性を打ち出し乍ら、相乗効果を地域社会で、創出して行ければ、それに越したことはない。まずは、こういうイベントを、しつこく、毎年毎年、繰り返して、やることが実は、肝要なのであるのかも知れない。

 

アケビを食す:

アケビを食す:

何とも、珍しいものが、眼に入ってきたので、思わず、土産に購入してしまった。土色とでもいうのか、やや、紫色に変色したアケビのさやが横に、口を開きながら、中から、白井透明なつぶつぶの果肉が、美味しそうに、鮭のいくらの卵のように、固まって、覗かせている。もうそろそろ、完熟の食べ頃であろうか?なかなか、普通のお店では、お目に掛かれない代物である。そもそも、こんな果物(?)を食した経験のある人は、相当の年配の人でないと、いないのではなかろうか?食べ物とは、食べた経験がないと、なかなか、手を出しにくいものである。そういう観点からすると、このアケビなどは、桑の実などと共に、危険危惧種、化石的な果物に、今や、なりつつあるのかも知れない。そんなことを考えながら、黒い小さな粒を出しながら、食すると、結構、実に、美味である。こういうものは」たくさん食べる必要は全く無いであろう。ただ、季節の旬に、一口、一味だけ、食すれば宜しいのかも知れない。その意味では、松茸などとも、同じ感覚かも知れない。ある種、贅沢な果物なのかも知れない。それにしても、地方でのこういったある種の稀少な食べ物を食することができるという事は、誠に、恵まれているという他ないかも知れない。毎年、すこしづつでもよいから、こういう商品を、産直売り場には、並べてもらいたいものである。宿泊施設で、提供したら、どんな反応をお客さまは、示すことであろうか?きっと、すぐに写真撮影して、SNSに投稿でもすることであろう。運がよければ、アケビが食べられる宿!というキャッチ・コピーも、悪くはなさそうである。

 

アケビを食す:

アケビを食す:

何とも、珍しいものが、眼に入ってきたので、思わず、土産に購入してしまった。土色とでもいうのか、やや、紫色に変色したアケビのさやが横に、口を開きながら、中から、白井透明なつぶつぶの果肉が、美味しそうに、鮭のいくらの卵のように、固まって、覗かせている。もうそろそろ、完熟の食べ頃であろうか?なかなか、普通のお店では、お目に掛かれない代物である。そもそも、こんな果物(?)を食した経験のある人は、相当の年配の人でないと、いないのではなかろうか?食べ物とは、食べた経験がないと、なかなか、手を出しにくいものである。そういう観点からすると、このアケビなどは、桑の実などと共に、危険危惧種、化石的な果物に、今や、なりつつあるのかも知れない。そんなことを考えながら、黒い小さな粒を出しながら、食すると、結構、実に、美味である。こういうものは」たくさん食べる必要は全く無いであろう。ただ、季節の旬に、一口、一味だけ、食すれば宜しいのかも知れない。その意味では、松茸などとも、同じ感覚かも知れない。ある種、贅沢な果物なのかも知れない。それにしても、地方でのこういったある種の稀少な食べ物を食することができるという事は、誠に、恵まれているという他ないかも知れない。毎年、すこしづつでもよいから、こういう商品を、産直売り場には、並べてもらいたいものである。宿泊施設で、提供したら、どんな反応をお客さまは、示すことであろうか?きっと、すぐに写真撮影して、SNSに投稿でもすることであろう。運がよければ、アケビが食べられる宿!というキャッチ・コピーも、悪くはなさそうである。

 

フクロウの声を聴く:

フクロウの声を聴く:

随分と昔のような気がする。今は、亡き愛犬と一緒に、近くのいつもの冬の里山の散歩コースを一緒に散歩していたら、頭上をかすめて滑空する大きな鳥の影に、思わず、首をすぼめたことを想い起こす。何と、白い羽毛の大きな鳥が、翼を拡げて、滑空してきたのである。そう言えば、裏の森の奥には、30年も前から、フクロウが棲みついていて、その図太い、低いよく響き渡る声で、ホッ・ホッ・ホーと、夏の夜空に、どのくらいの範囲で聞こえるのかは、判らぬが、一晩中、鳴いていたことも、併せて、想い起こした。今年の夏は、結構短く、寒かったので、窓を閉め切って寝ていたせいか、どうかは判らぬが、フクロウの声が聞こえなかったような気がする。それでも、きっと、夜になると、太い声で鳴いていたことであろう。思わず、その声を聴いた途端に、何やら、懐かしい、安堵感が出てきたものである。やはり、里山の森の守り神なのであろうか?NHKのダーウィングが来たによれば、夏の間には、虫の声や様々な音が発せられるので、それが、一種の雑音のように共鳴して、フクロウの耳には、捕食するねずみの音が、うまくキャッチできずに従って、狩り自身が、難しい時期だそうである。しかし、雪の降る寒い冬になると、今度は、事態は一転して、好条件になるそうである。そう言えば、昔、ベランダの野鳥の餌台の隅に、小さな白い二十日鼠が、隠れていて、ビックリしたことがあったことを想い起こす。むこうも、さぞかし、ビックリしたことであろう。それにしても、久しぶりに、フクロウの声を聴けて、おおいに、安心しました。最近では、鹿の駆除に、電気柵が設けられて、すっかり、獣道も、蹄の後も、観られなくなってしまいました。それは、それで、畑や果樹園を守る為には、やむを得ない措置なのであろうが、何とも、共生という観点からは、何か、物寂しいものを感じざるを得ませんね。フクロウもカラスとの闘いに、何とか、頑張って、この森の中で、生き続けているようであります。一安心です!

 

フクロウの声を聴く:

フクロウの声を聴く:

随分と昔のような気がする。今は、亡き愛犬と一緒に、近くのいつもの冬の里山の散歩コースを一緒に散歩していたら、頭上をかすめて滑空する大きな鳥の影に、思わず、首をすぼめたことを想い起こす。何と、白い羽毛の大きな鳥が、翼を拡げて、滑空してきたのである。そう言えば、裏の森の奥には、30年も前から、フクロウが棲みついていて、その図太い、低いよく響き渡る声で、ホッ・ホッ・ホーと、夏の夜空に、どのくらいの範囲で聞こえるのかは、判らぬが、一晩中、鳴いていたことも、併せて、想い起こした。今年の夏は、結構短く、寒かったので、窓を閉め切って寝ていたせいか、どうかは判らぬが、フクロウの声が聞こえなかったような気がする。それでも、きっと、夜になると、太い声で鳴いていたことであろう。思わず、その声を聴いた途端に、何やら、懐かしい、安堵感が出てきたものである。やはり、里山の森の守り神なのであろうか?NHKのダーウィングが来たによれば、夏の間には、虫の声や様々な音が発せられるので、それが、一種の雑音のように共鳴して、フクロウの耳には、捕食するねずみの音が、うまくキャッチできずに従って、狩り自身が、難しい時期だそうである。しかし、雪の降る寒い冬になると、今度は、事態は一転して、好条件になるそうである。そう言えば、昔、ベランダの野鳥の餌台の隅に、小さな白い二十日鼠が、隠れていて、ビックリしたことがあったことを想い起こす。むこうも、さぞかし、ビックリしたことであろう。それにしても、久しぶりに、フクロウの声を聴けて、おおいに、安心しました。最近では、鹿の駆除に、電気柵が設けられて、すっかり、獣道も、蹄の後も、観られなくなってしまいました。それは、それで、畑や果樹園を守る為には、やむを得ない措置なのであろうが、何とも、共生という観点からは、何か、物寂しいものを感じざるを得ませんね。フクロウもカラスとの闘いに、何とか、頑張って、この森の中で、生き続けているようであります。一安心です!

 

パラリンピックに考える:

パラリンピックに考える:

これまでの報道姿勢と、若干、NHKや新聞も含めて、パラリンピックに対する報道の姿勢というものが、異なっているように感じるのは、私一人だけであろうか?元々、障害者スポーツという一つの範疇でしか、健常者と称する我々は、見ていなかったが、どうやら、最近では、バリア・フリーではないが、やっと、ある種の色眼鏡を通じて見るのではなくて、その精神力や体力も含めて、自らも、おや、一緒にやってみたら、どんなものであろうかとも、思わせるような気を生じさせるような感じだろうか?とりわけ、何年か前に、スキャンダラスなブレード・ランナーの殺人事件を契機に、面白可笑しく、報じられたものであるが、こんかいのリオ・パラリンピックを観ていると、もはや、そんな見世物を見るような眼は、少なくなりつつあるのではなかろうか?オリンピックとパラリンピックが、同じ土俵の上で、競演しても悪くはなさそうだし、健常者の大会にも、パラリンピアンが一緒に、競技参加しても良さそうなものである。ようするに、健常者と障害者との垣根をなくすような場作り・機会作りが、必要では無かろうか?私が子供の頃の身体障害者のイメージは、復員してきた白い傷病兵服を着込んで、アコーディオンを抱えて、或いは、杖をつきながら、義手に義援金箱を吊した街頭に座り込んでいるか、国電の車内を廻りながら、おねだりする姿が、今も、目に焼き付いているものである。しかしながら、今日、テレビを観ていると、目が不自由でも、脚が切断されていようが、腰から下がなくても、様々なスポーツに、ハイテク車椅子で、自由自在に、パスケットも、走り幅跳びも、水泳でも、出来るものなのであることに驚かざるを得ない。更には、特殊な競技と云っては何であるが、ボッチャとか、ロールボールとか、年寄りでも、アイ・マスクを掛けて、一緒にやってみたら面白そうな競技もある。いずれにせよ、社会の壁を打ち払い、共通の場と交流の場作りが必要不可欠であろう。前回の東京オリンピックの時には、パラリンピックが開催されたことは知っていても、それが、どんな印象を持っていたのか、市川崑監督の映画は、記憶していても、東京パラリンピックの記憶は、有していない。次の2020年のパラリンピックは、どんな記憶に残るのであろうか?もっとも、アメリカ軍の中には、傷病兵を、精神的、肉体的なリハビリの一環として、スポーツを通じて、資源としての部品再生に活用しようと位置づけ、膨大な費用で、パラリンピックへの参加を促しているとの報道もある。

 

パラリンピックに考える:

パラリンピックに考える:

これまでの報道姿勢と、若干、NHKや新聞も含めて、パラリンピックに対する報道の姿勢というものが、異なっているように感じるのは、私一人だけであろうか?元々、障害者スポーツという一つの範疇でしか、健常者と称する我々は、見ていなかったが、どうやら、最近では、バリア・フリーではないが、やっと、ある種の色眼鏡を通じて見るのではなくて、その精神力や体力も含めて、自らも、おや、一緒にやってみたら、どんなものであろうかとも、思わせるような気を生じさせるような感じだろうか?とりわけ、何年か前に、スキャンダラスなブレード・ランナーの殺人事件を契機に、面白可笑しく、報じられたものであるが、こんかいのリオ・パラリンピックを観ていると、もはや、そんな見世物を見るような眼は、少なくなりつつあるのではなかろうか?オリンピックとパラリンピックが、同じ土俵の上で、競演しても悪くはなさそうだし、健常者の大会にも、パラリンピアンが一緒に、競技参加しても良さそうなものである。ようするに、健常者と障害者との垣根をなくすような場作り・機会作りが、必要では無かろうか?私が子供の頃の身体障害者のイメージは、復員してきた白い傷病兵服を着込んで、アコーディオンを抱えて、或いは、杖をつきながら、義手に義援金箱を吊した街頭に座り込んでいるか、国電の車内を廻りながら、おねだりする姿が、今も、目に焼き付いているものである。しかしながら、今日、テレビを観ていると、目が不自由でも、脚が切断されていようが、腰から下がなくても、様々なスポーツに、ハイテク車椅子で、自由自在に、パスケットも、走り幅跳びも、水泳でも、出来るものなのであることに驚かざるを得ない。更には、特殊な競技と云っては何であるが、ボッチャとか、ロールボールとか、年寄りでも、アイ・マスクを掛けて、一緒にやってみたら面白そうな競技もある。いずれにせよ、社会の壁を打ち払い、共通の場と交流の場作りが必要不可欠であろう。前回の東京オリンピックの時には、パラリンピックが開催されたことは知っていても、それが、どんな印象を持っていたのか、市川崑監督の映画は、記憶していても、東京パラリンピックの記憶は、有していない。次の2020年のパラリンピックは、どんな記憶に残るのであろうか?もっとも、アメリカ軍の中には、傷病兵を、精神的、肉体的なリハビリの一環として、スポーツを通じて、資源としての部品再生に活用しようと位置づけ、膨大な費用で、パラリンピックへの参加を促しているとの報道もある。

 

PB商品の販売開始:

PB商品の販売開始:

地元の書家とのコラボで、まずは、新しいロゴを制作してから、いよいよ、日本酒と、新米の商品企画に入っていたが、何とか、形が出来上がってきた。まずは、日本酒の小瓶の300mlと720mlとである。ネット販売だと、免許の問題があるので、取り敢えず、宿泊客への提供とお土産品としての販売企画とする。メルマガにも販促するし、FBページやHP上での告知も含めると、ネット広告も期間限定で、行っても良いかも知れない。なかなか、よい感じにモックアップ・サンプルは、仕上がってきた。売り方次第では、酒好きのみならず、宿泊客の中ではファンが愉しめる品質のものであろう。地元の醸造・藏元で、結構勇舞ブランドの吟醸酒である。瓶の色も、ブルーで、高級感も有り、ラベルも鷲などに変更したら、更に、イメージが良くなるかも知れない。とにかく、出来るところから、手をつけて少しでも進めて行くことが肝心であろう。それ程の在庫負担もないから、いざとなれば、自分で飲んでもよいし、土産にあげても宜しいし、プラス要素として、考えればよいのではないだろうか?次は、収穫祭後の新米の販売である。3キロ・5キロ程度の小袋で対応すればよいか?兎に角、直売の流通を地道に、ファンを増やして行けば、こちらも、少しずつ、プラス要素を増やして行けば、やがて、それぞれが、大きな力になって行けば、ステップ¥バイ・ステップでゆっくりと着実に拡大させて行けばよい。何も、急ぐ必要もない。要するに、ゼロから、少しでも増えて行けば宜しい、そう考えると、気も楽になろう。人手とマンパワーが限られているのだから、他人の有する機能を活用する以外に知恵のだし用はない。知恵を絞るのは、何せ、タダだから、、、、、、。まずは、お酒、そして、新米、更に、りんご、最後に、リンゴジュースという具合に、進めてゆければ、よいかな。

 

PB商品の販売開始:

PB商品の販売開始:

地元の書家とのコラボで、まずは、新しいロゴを制作してから、いよいよ、日本酒と、新米の商品企画に入っていたが、何とか、形が出来上がってきた。まずは、日本酒の小瓶の300ml720mlとである。ネット販売だと、免許の問題があるので、取り敢えず、宿泊客への提供とお土産品としての販売企画とする。メルマガにも販促するし、FBページやHP上での告知も含めると、ネット広告も期間限定で、行っても良いかも知れない。なかなか、よい感じにモックアップ・サンプルは、仕上がってきた。売り方次第では、酒好きのみならず、宿泊客の中ではファンが愉しめる品質のものであろう。地元の醸造・藏元で、結構勇舞ブランドの吟醸酒である。瓶の色も、ブルーで、高級感も有り、ラベルも鷲などに変更したら、更に、イメージが良くなるかも知れない。とにかく、出来るところから、手をつけて少しでも進めて行くことが肝心であろう。それ程の在庫負担もないから、いざとなれば、自分で飲んでもよいし、土産にあげても宜しいし、プラス要素として、考えればよいのではないだろうか?次は、収穫祭後の新米の販売である。3キロ・5キロ程度の小袋で対応すればよいか?兎に角、直売の流通を地道に、ファンを増やして行けば、こちらも、少しずつ、プラス要素を増やして行けば、やがて、それぞれが、大きな力になって行けば、ステップ¥バイ・ステップでゆっくりと着実に拡大させて行けばよい。何も、急ぐ必要もない。要するに、ゼロから、少しでも増えて行けば宜しい、そう考えると、気も楽になろう。人手とマンパワーが限られているのだから、他人の有する機能を活用する以外に知恵のだし用はない。知恵を絞るのは、何せ、タダだから、、、、、、。まずは、お酒、そして、新米、更に、りんご、最後に、リンゴジュースという具合に、進めてゆければ、よいかな。

 

PC遠隔操作を体感する:

PC遠隔操作を体感する:

PCのWindow 10へのアップグレードとか、色々と、厄介な問題を抱えながら、古いPCを騙し騙ししながら、浸かってきたが、メイリング・ソフトの更新を試みてみた。しかしながら、Officeに納められている他のソフトは、すべて、うまくサクサクと機能するのに、Outlookのみが、うまく起動しない。試行錯誤の末に、結局サポート・デスクへ、コンタクトするも、電話では、待たされてばかりで、結局、待ち時間の少ないチャットによるサポートを受けることにした。そうすると、サポート・デスクによる遠隔操作をして貰いながら、その指示に従って、相互に、その作業を閲覧しながら、一種の協働作業のような形で、解決方法を探るというものである。成る程、相手のカーソルの動きを見ていれば、何処へ、どんな作業を行っているのかが、瞬時に、把握できるので、これは、なかなか、興味深い。結局、旧いバージョンを削除して、再インストールして、ソフトの修正と修復を試みて、最終的には、二人の別々の担当技術者のサポートを受けて、起動するようになった。原因としては、ソフトのアドインの無効化が、どうやら、必要だったらしい。それにしても、標的型のウィルスによるPCのなりすましや遠隔操作というものを、実際に、体感できたことは、なかなか、興味深いことである。恐らく、電話口で、対応していたら、間違いなく、気の短い年寄りは、大声で、怒鳴り散らして、喧嘩になることは、間違いことであろう。それにしても、遠隔操作が、ある種、こんなに、簡単に、出来るとは、勿論、今回は、当方の承諾を得た上で、実施され、担当者の名前もきちんと、チャット画面上に、出てくるから、そえはそれで、宜しいのかもし得ないが、これが、自分の知らない間に、すべて、盗み見られるとなると、これは、誠に、気味が悪いだけではなくて、金銭的な犯罪の温床になるとすれば、穏やかではない。それにしても、チャットと遠隔操作作業という技術の進歩は、凄まじいものがあることを改めて、実感しました。

 

 

PC遠隔操作を体感する:

PC遠隔操作を体感する:

PCWindow 10へのアップグレードとか、色々と、厄介な問題を抱えながら、古いPCを騙し騙ししながら、浸かってきたが、メイリング・ソフトの更新を試みてみた。しかしながら、Officeに納められている他のソフトは、すべて、うまくサクサクと機能するのに、Outlookのみが、うまく起動しない。試行錯誤の末に、結局サポート・デスクへ、コンタクトするも、電話では、待たされてばかりで、結局、待ち時間の少ないチャットによるサポートを受けることにした。そうすると、サポート・デスクによる遠隔操作をして貰いながら、その指示に従って、相互に、その作業を閲覧しながら、一種の協働作業のような形で、解決方法を探るというものである。成る程、相手のカーソルの動きを見ていれば、何処へ、どんな作業を行っているのかが、瞬時に、把握できるので、これは、なかなか、興味深い。結局、旧いバージョンを削除して、再インストールして、ソフトの修正と修復を試みて、最終的には、二人の別々の担当技術者のサポートを受けて、起動するようになった。原因としては、ソフトのアドインの無効化が、どうやら、必要だったらしい。それにしても、標的型のウィルスによるPCのなりすましや遠隔操作というものを、実際に、体感できたことは、なかなか、興味深いことである。恐らく、電話口で、対応していたら、間違いなく、気の短い年寄りは、大声で、怒鳴り散らして、喧嘩になることは、間違いことであろう。それにしても、遠隔操作が、ある種、こんなに、簡単に、出来るとは、勿論、今回は、当方の承諾を得た上で、実施され、担当者の名前もきちんと、チャット画面上に、出てくるから、そえはそれで、宜しいのかもし得ないが、これが、自分の知らない間に、すべて、盗み見られるとなると、これは、誠に、気味が悪いだけではなくて、金銭的な犯罪の温床になるとすれば、穏やかではない。それにしても、チャットと遠隔操作作業という技術の進歩は、凄まじいものがあることを改めて、実感しました。

 
 

クラウド・スタッフという組織・運動体概念を考える:

クラウド・スタッフという組織・運動体概念を考える:

 

最近、ボランティア活動をする中で、地元と大都市圏で繋ぎ役のような役割が、柔軟な組織活動の中で、或いは、運動を展開する過程の最中で、有効に機能できるような何らかのネットワーク作りが出来ないかと考えていたところ、ここ数日の間に、その方向性を、『クラウンド・スタッフ』と言うような形で、現地、或いは、大都市圏との間を、あるときには、ネットでのつながり、又、ある時には、定期的に、face-to-faceで、アナログで、リアルに、実際に、顔をつきあわせて、議論できる場も必要で、この二つを有機的に、結びつけられないかという構想である。基本的には、毎日、或いは、常時、ネットでの連絡により、情報の共有を行いながら、会議や、イベントや具体的な運動・行動を起こすときには、実際に、行動に参加するか、、或いは、それが、何らかの事情で可能でないときには、別の形で、資金的にでも、情宣活動でもよいから、出来る範囲での参加協力をして貰えるようなそんな組織体制を作りたいものである。とりわけ、私が考える年寄りは、その有する豊富な知的所有権を、無償で、惜しむことなく、若い世代、次世代を担う人々へ、提供する事、お互いに、世代を超えて、得意分野と不得意分野を相互に、補完し合うだけの知恵の出し合いを切磋琢磨する場を、創り出したいものである。そうすることで、互いの有する得意分野での知的所有権を、もっと大きなエネルギーへ拡大できるであろうし、又、必ず、一つの結実へと導かれるものと確信する。知恵を出し合い、資金面で、支援も出来るであろうし、新たなビジネス・モデルにも、なり得るかも知れない。運動の中で、商品開発なども、さまざまなマーケティングも、克服できる可能性が現実的に、可能になることは間違いないであろう。イメージとしては、高校生から、大学生、20代・30代・40代・50代・60代・70代でも、各年代から、一人ずつでも二人でも、よいから、代表になるような人材が見つかれば、取り敢えず、年代が、すべてに、網羅されなくても、出来る範囲から、やって行けば、一種のプロジェクト・チームのような柔軟な組織として、アクティベート出来うるのではないかと、確信するに至った。それは、商品開発、ニーズ分析でもよいし、ある種の一つの商品の販売協力への呼びかけでもよいし、まずは、趣意書に基づいて、それに共感し、協力して貰える人々の参加・参集を図りたいものである。取り敢えず、秋口からのお米や、地酒・吟醸酒や、竹製品の販売などに関して、クラウド・スタッフを募集して行きたいと思い至った次第である。取り敢えず、30代・50代・60代は、目途がついているので、ここから、高校生、20代などへと拡大して行きたいものである。如何なものであろうか?

 

クラウド・スタッフという組織・運動体概念を考える:

クラウド・スタッフという組織・運動体概念を考える:

 

最近、ボランティア活動をする中で、地元と大都市圏で繋ぎ役のような役割が、柔軟な組織活動の中で、或いは、運動を展開する過程の最中で、有効に機能できるような何らかのネットワーク作りが出来ないかと考えていたところ、ここ数日の間に、その方向性を、『クラウンド・スタッフ』と言うような形で、現地、或いは、大都市圏との間を、あるときには、ネットでのつながり、又、ある時には、定期的に、face-to-faceで、アナログで、リアルに、実際に、顔をつきあわせて、議論できる場も必要で、この二つを有機的に、結びつけられないかという構想である。基本的には、毎日、或いは、常時、ネットでの連絡により、情報の共有を行いながら、会議や、イベントや具体的な運動・行動を起こすときには、実際に、行動に参加するか、、或いは、それが、何らかの事情で可能でないときには、別の形で、資金的にでも、情宣活動でもよいから、出来る範囲での参加協力をして貰えるようなそんな組織体制を作りたいものである。とりわけ、私が考える年寄りは、その有する豊富な知的所有権を、無償で、惜しむことなく、若い世代、次世代を担う人々へ、提供する事、お互いに、世代を超えて、得意分野と不得意分野を相互に、補完し合うだけの知恵の出し合いを切磋琢磨する場を、創り出したいものである。そうすることで、互いの有する得意分野での知的所有権を、もっと大きなエネルギーへ拡大できるであろうし、又、必ず、一つの結実へと導かれるものと確信する。知恵を出し合い、資金面で、支援も出来るであろうし、新たなビジネス・モデルにも、なり得るかも知れない。運動の中で、商品開発なども、さまざまなマーケティングも、克服できる可能性が現実的に、可能になることは間違いないであろう。イメージとしては、高校生から、大学生、20代・30代・40代・50代・60代・70代でも、各年代から、一人ずつでも二人でも、よいから、代表になるような人材が見つかれば、取り敢えず、年代が、すべてに、網羅されなくても、出来る範囲から、やって行けば、一種のプロジェクト・チームのような柔軟な組織として、アクティベート出来うるのではないかと、確信するに至った。それは、商品開発、ニーズ分析でもよいし、ある種の一つの商品の販売協力への呼びかけでもよいし、まずは、趣意書に基づいて、それに共感し、協力して貰える人々の参加・参集を図りたいものである。取り敢えず、秋口からのお米や、地酒・吟醸酒や、竹製品の販売などに関して、クラウド・スタッフを募集して行きたいと思い至った次第である。取り敢えず、30代・50代・60代は、目途がついているので、ここから、高校生、20代などへと拡大して行きたいものである。如何なものであろうか?

 

やる気というやっかいな陥穽:

やる気というやっかいな陥穽:

貧困から、逃れるために、人は一生懸命に、資格を取得したり、外国語を学び、少しでも、他人よりも優位に立とうとして、頑張るモノである。とりわけ、何処の国でも、教育への幻想というモノが日増しに、まして、大学進学や、異常なまでの加熱した学歴至上主義やら、海外留学キャリアー信仰へと発展してしまい、逆に、そうした『やる気と向上心』というものが、もたらしてしまう『陥穽』に、当事者は、気が付かないモノである。小諸市の第9回になるという『ディスカバリー小諸』という日本に、留学している留学生の短い期間でのホーム・ステイの受け容れに、参画して貰いたいと云うので、ボランティア活動の延長線上に、協力することにした。何でも、私に割り振られた相手は、昨年の10月に、ベトナムハノイから、やってきた19歳の青年である。色々と、訪日動機とか、こちらでの滞在生活の内容とか、生活振りとかを質問してみたが、なかなか、厄介なことであるが、基本的な意思疎通のベースである日本語が、覚束ない。昔、ベトナムで暮らしていたときの私のお手伝い向けの生活ベトナム語などは、全く、糞の役にも立たない。もっとも、少しは、会話してくる間で、思いだしてくるものの、南と北では、その発音が異なるから、こちらも戸惑ってしまうものである。ましてや、英語は、残念乍ら、向こうさんは、さっぱり、携帯電話の辞書を引かないと、理解出来ない困った状態である。それでも、何とか、朝08:30から、午前中、日本語の勉強をして、午後は、ずっと、夕方六時頃まで、有名なインスタント・ラーメンの製麺工場でアルバイトをして、夜は、宿題をして、就寝は、二時頃だそうである。アルバイト代は、月額7万円程度、残業をしても、9万円程度で、そこから、家賃3万円(WiFi利用料や、光熱費込みで、3人のアパートの相部屋だそうだ)、食費1万円を負担して、残りを親への訪日費用代の返済に充当しているとかで、コンビニやインスタント・ラーメンの食事らしく、晩ご飯を、ベトナム生春巻きの日本版(具材を刺身やハムに替えて、野菜と一緒に、手巻きで、古いベトナムの友人にお土産で貰った魚醤とチリー・ソース)で、食べながら、来年三月以降、どうするのかとか、将来、何になりたいとか、尋ねてみたが、東京へ出て、語学の勉強をやりながら、マーケティングなども、学びたいとか、、、、、大学は、学費が高いので、専門学校に進学したいと希望を熱く語っていた。それにしても、私の知りうる限りでのこれまでの旧いベトナムの友人達は、皆、奨学金を貰ったり、優秀な成績だったのであろうから、公費で、大学へ、留学に来たりしていたのに、較べて、何とも、悲しくなりそうな境遇である。おまけに、43歳のお父さんは、病気がちで、お母さんも又、医者通いとかで、妹を抱えて、自分が頑張らないといけないという境遇だそうである。何とも、五十年以上も昔、テレビのシャボン玉ホリデーで、ハナ肇や、ザ・ピーナッツが演じていた、貧困家庭のコメディーを彷彿とさせられる内容である。そんなにしてまでも、日本語を学び、海外で、食事を切り詰めて、お金を貯めて、両親に、尽くしたいというこの青年の思いには、ある種の『生真面目さに隠された陥穽』を、私は、皮肉にも、みてしまう。相手に、『今の幸せとは、何ですか?』と質問してみたが、日本語が、通じなかったので、会話が、途切れてしまったのは、おおいに、残念なことである。それにしても、生活が苦しくて、口減らしの一環で、海外移民に出ざるを得なかったのではなくて、自らの強い意思と向上心を以て、自己責任で、来日するというこの、現状が、世界至る所で、みられるのであろう。それは、不法移民ではなくて、ある種、ギリギリの貧困ビジネスのような物で、恐らく、『出す側と受け容れ側』との阿吽の呼吸の狭間で、この青年のように、彼らは、海外へ、夢と希望を持て、出掛けてくるのであろうが、その行き着く先は、一体、どんな地平なのだろうか?振り返って、自分が19歳の時には、果たして、どんな思いであったのであろうか?この青年のようなそんな大それた大志や野望を抱いていたであろうか?語学留学とか、海外研修制度とか、役人が机の上で、ペンを舐め舐め、企画した事実上の安い労働力の提供というなし崩しの一種の移民政策は、そんあ実態を垣間見たような気がしてならない。これが、本当に、異文化の交流とか、理解とかに、繋がるのであろうか?残念乍ら、この青年は、夕食後に、昼からの咳がひどくなり、携帯の辞書で、胸が痛く、肺炎ではないかと心配し、医者に診て貰えないかと云うので、初めは、夏風邪とタカをくくっていたが、薬を持参しているというので、薬局の処方した薬をみると、気管支喘息の薬であった。どうやら、暑い夜中に、部屋で、クーラーを懸けっぱなしにして、就寝していたために、喉・気管支をやられたらしく、おまけに、雨の中傘を差さずに、濡れてしまい、体調を崩してしまったらしい。そんなこんなで、念の為に、京都にいる私の古いベトナム人の友人へ、夜、ネット電話で、直接状況を話して貰い、どうしたいかを再確認したうえで、最終的に、翌朝、上田のかかりつけの病院へ、診察を受けるべく、急遽、予定をすべて、キャンセルして、レントゲンを撮り、肺炎かどうかを、兎に角、診察して貰うことにした。ネット電話で話をしているときも、咳と痰が止まらず、症状がひどくなってきた。結局、翌朝は、トウモロコシとハム・エッグ・トーストとコーヒーと、スイカ・長野パープルという、朝食で、完食したから、食欲は大丈夫だろうと判断したものの、海外で、病院通いというのは、実に、私の個人的な体験からも、心細いモノである。上田に在住のベトナム人の先生に、急遽、病院で、ドクターへの通訳を依頼して、私は、お役目御免、バトン・タッチ終了とした。何でも、その後の連絡では、レントゲンで、肺炎ではないと確認され、点滴を打って、処置されたとのことで、まずは、一安心であろう。それにしても、こんな生活をしていたら、又再び、体調を悪くして、ぶり返してしまいかねない。一日も早い健康の回復を、願いたいモノである。そして、一日も早く、日本語をもっと、うまく話せるようになってもらいたいものでる。奨学金や、起業という陥穽が、問題視されているが、全く、語学という、或いは、語学留学という、麻薬のようなものが、つきまとっていることを、忘れてはならないし、かといって、事勿れ主義でも、困るが、バランスが、難しい所である。色々な意味で、勉強させて貰えました。

 

やる気というやっかいな陥穽:

やる気というやっかいな陥穽:

貧困から、逃れるために、人は一生懸命に、資格を取得したり、外国語を学び、少しでも、他人よりも優位に立とうとして、頑張るモノである。とりわけ、何処の国でも、教育への幻想というモノが日増しに、まして、大学進学や、異常なまでの加熱した学歴至上主義やら、海外留学キャリアー信仰へと発展してしまい、逆に、そうした『やる気と向上心』というものが、もたらしてしまう『陥穽』に、当事者は、気が付かないモノである。小諸市の第9回になるという『ディスカバリー小諸』という日本に、留学している留学生の短い期間でのホーム・ステイの受け容れに、参画して貰いたいと云うので、ボランティア活動の延長線上に、協力することにした。何でも、私に割り振られた相手は、昨年の10月に、ベトナムハノイから、やってきた19歳の青年である。色々と、訪日動機とか、こちらでの滞在生活の内容とか、生活振りとかを質問してみたが、なかなか、厄介なことであるが、基本的な意思疎通のベースである日本語が、覚束ない。昔、ベトナムで暮らしていたときの私のお手伝い向けの生活ベトナム語などは、全く、糞の役にも立たない。もっとも、少しは、会話してくる間で、思いだしてくるものの、南と北では、その発音が異なるから、こちらも戸惑ってしまうものである。ましてや、英語は、残念乍ら、向こうさんは、さっぱり、携帯電話の辞書を引かないと、理解出来ない困った状態である。それでも、何とか、朝0830から、午前中、日本語の勉強をして、午後は、ずっと、夕方六時頃まで、有名なインスタント・ラーメンの製麺工場でアルバイトをして、夜は、宿題をして、就寝は、二時頃だそうである。アルバイト代は、月額7万円程度、残業をしても、9万円程度で、そこから、家賃3万円(WiFi利用料や、光熱費込みで、3人のアパートの相部屋だそうだ)、食費1万円を負担して、残りを親への訪日費用代の返済に充当しているとかで、コンビニやインスタント・ラーメンの食事らしく、晩ご飯を、ベトナム生春巻きの日本版(具材を刺身やハムに替えて、野菜と一緒に、手巻きで、古いベトナムの友人にお土産で貰った魚醤とチリー・ソース)で、食べながら、来年三月以降、どうするのかとか、将来、何になりたいとか、尋ねてみたが、東京へ出て、語学の勉強をやりながら、マーケティングなども、学びたいとか、、、、、大学は、学費が高いので、専門学校に進学したいと希望を熱く語っていた。それにしても、私の知りうる限りでのこれまでの旧いベトナムの友人達は、皆、奨学金を貰ったり、優秀な成績だったのであろうから、公費で、大学へ、留学に来たりしていたのに、較べて、何とも、悲しくなりそうな境遇である。おまけに、43歳のお父さんは、病気がちで、お母さんも又、医者通いとかで、妹を抱えて、自分が頑張らないといけないという境遇だそうである。何とも、五十年以上も昔、テレビのシャボン玉ホリデーで、ハナ肇や、ザ・ピーナッツが演じていた、貧困家庭のコメディーを彷彿とさせられる内容である。そんなにしてまでも、日本語を学び、海外で、食事を切り詰めて、お金を貯めて、両親に、尽くしたいというこの青年の思いには、ある種の『生真面目さに隠された陥穽』を、私は、皮肉にも、みてしまう。相手に、『今の幸せとは、何ですか?』と質問してみたが、日本語が、通じなかったので、会話が、途切れてしまったのは、おおいに、残念なことである。それにしても、生活が苦しくて、口減らしの一環で、海外移民に出ざるを得なかったのではなくて、自らの強い意思と向上心を以て、自己責任で、来日するというこの、現状が、世界至る所で、みられるのであろう。それは、不法移民ではなくて、ある種、ギリギリの貧困ビジネスのような物で、恐らく、『出す側と受け容れ側』との阿吽の呼吸の狭間で、この青年のように、彼らは、海外へ、夢と希望を持て、出掛けてくるのであろうが、その行き着く先は、一体、どんな地平なのだろうか?振り返って、自分が19歳の時には、果たして、どんな思いであったのであろうか?この青年のようなそんな大それた大志や野望を抱いていたであろうか?語学留学とか、海外研修制度とか、役人が机の上で、ペンを舐め舐め、企画した事実上の安い労働力の提供というなし崩しの一種の移民政策は、そんあ実態を垣間見たような気がしてならない。これが、本当に、異文化の交流とか、理解とかに、繋がるのであろうか?残念乍ら、この青年は、夕食後に、昼からの咳がひどくなり、携帯の辞書で、胸が痛く、肺炎ではないかと心配し、医者に診て貰えないかと云うので、初めは、夏風邪とタカをくくっていたが、薬を持参しているというので、薬局の処方した薬をみると、気管支喘息の薬であった。どうやら、暑い夜中に、部屋で、クーラーを懸けっぱなしにして、就寝していたために、喉・気管支をやられたらしく、おまけに、雨の中傘を差さずに、濡れてしまい、体調を崩してしまったらしい。そんなこんなで、念の為に、京都にいる私の古いベトナム人の友人へ、夜、ネット電話で、直接状況を話して貰い、どうしたいかを再確認したうえで、最終的に、翌朝、上田のかかりつけの病院へ、診察を受けるべく、急遽、予定をすべて、キャンセルして、レントゲンを撮り、肺炎かどうかを、兎に角、診察して貰うことにした。ネット電話で話をしているときも、咳と痰が止まらず、症状がひどくなってきた。結局、翌朝は、トウモロコシとハム・エッグ・トーストとコーヒーと、スイカ・長野パープルという、朝食で、完食したから、食欲は大丈夫だろうと判断したものの、海外で、病院通いというのは、実に、私の個人的な体験からも、心細いモノである。上田に在住のベトナム人の先生に、急遽、病院で、ドクターへの通訳を依頼して、私は、お役目御免、バトン・タッチ終了とした。何でも、その後の連絡では、レントゲンで、肺炎ではないと確認され、点滴を打って、処置されたとのことで、まずは、一安心であろう。それにしても、こんな生活をしていたら、又再び、体調を悪くして、ぶり返してしまいかねない。一日も早い健康の回復を、願いたいモノである。そして、一日も早く、日本語をもっと、うまく話せるようになってもらいたいものでる。奨学金や、起業という陥穽が、問題視されているが、全く、語学という、或いは、語学留学という、麻薬のようなものが、つきまとっていることを、忘れてはならないし、かといって、事勿れ主義でも、困るが、バランスが、難しい所である。色々な意味で、勉強させて貰えました。