小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

りんごの唄:

りんごの唄:

この唄が、並木路子によって、謳われたのは、19461月だそうである。テレビの敗戦直後の焼け跡や闇市の風景のバックに、必ず、この唄が流れてくるので、いつしか、耳に残ってしまうのでろう。きっと、赤ん坊の頃に、母が聴いていたラジオからでも、流れていたのであろうか?それにしても、「あかいリンゴに、唇寄せて、黙ってみている青い空、リンゴの気持ちは知らないけれど、りんごの気持はよくわかる、、、、♪」という歌詞も、誰からも教わった訳ではないのに、不思議と、口から、メロディー・ラインとともに、出てきてしまうのは、どうしたものであろうか?空襲による焼け跡に建てられたバラック闇市の屋根の隙間から、仰ぎ見た空は、一点の雲すらなく、澄み渡った青空が、これまでの戦中の重いくらい息苦しい雰囲気と対照的に、人々の心を移していたのかも知れない。赤いリンゴが天皇で、青い空が、アメリカである等という解釈は、後付けされた有識者によるこじつけかも知れない。美空ひばりの唄う追分ものや、故郷を唄ったなかにも、どういう訳か、リンゴが冠されている。当時は、考えてみれば、食糧不足であり、物資も、乏しく、日々の食べるものにも、事欠く状況で、赤いりんごは、確かに、貴重な食料でもあったのかも知れない。そんなリンゴに、想いを託した戦後間近の人々の心は、戦後70年、どんな唄や歌詞に、今日、凝縮されているのであろうか?そして、飽食時代、今や、食べるものには、気持を託すような時代ではなくなりつつあるような時代になってしまったのであろうか?