小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

叔母を見舞う:

叔母を見舞う:

もう、私くらいの年齢になると、叔母や叔父達も、それぞれ、もう、二人づつになってしまった。しかも、皆、80代、90代である。ある喪中葉書から、従兄弟の筋から、辿っていったところ、脳出血を三回繰り返して、右半身不随に陥り、幸運にも、自宅近くのナーシング・ホームに入居出来たそうである。早速、叔父に電話して、一緒に、お見舞いに伺う段取りとしたものである。二ヶ月ほどの短い期間であったが、関西での新入社員研修の時には、唯一、親戚の中で、枚方に、たまたま、住んでいた関係から、休日には、よく、自宅を訪問したものである。その時、ヤマガラをどういう訳か、自宅の居間の中で、自由に飛ばしていたのを今でも、小諸の野鳥の餌台に、ヤマガラが来る度に、懐かしく想い出す。山歩きが大好きであった叔母は、糖尿病を気遣って、食事や健康には、人一倍、注意をしていたのに、、、、、、皮肉にも、叔父より先に、倒れてしまった。叔父の言では、「冗談で、先に、倒れるなよ!」と散歩の度毎に、云っていたらしいが、思うようにならないのが、世の常のようである。楽しみにしていた孫達の結婚式にも、残念乍ら、出席叶わなかったものの、次の目標としては、曾孫を観なければならないという大きな目標が出来たようである。ニコニコ笑いながら、孫が買ってくれたおしゃべり人形に、言語障害が出ているにも拘わらず、一生懸命に、話しかけている姿をみていると、私の顔を認識しているものの、言葉に出して、発音しにくい名前らしく、最後まで、名前を呼ぶことは叶わなかった。まぁ、それでも、子供や妻からのメッセージを読み聞かせることが出来たし、元気そうな顔をみれたし、何よりも、残された叔父を励ますことが出来たことは、良かったのではないだろうか。ナーシング・ホームに、入居できたのも、良かったが、病院見舞いというものは、患者へのお見舞いもさることながら、ヘルパーさんや、その残された連れ合いや家族への労りとひょっとすると、見舞う側、こちら側の心の在り方も、同時に、問われているのかも知れない。胃ろう手術で、やっと、一命を取り留めた叔母も、次の目標である、曾孫の顔を見たいと思う心情、叔父によれば、自分も、罪滅ぼしのつもりで、毎日、様子を見に来ることくらいはしないといけないという責任感で、毎日、一日一日を過ごしているという。そういう思いも、年齢を考えれば、それ相応で、宜しいのではないだろうか?いずれ、人間だから、万人に、同じ途はやってくるわけだから、今から、しっかりと、その心情を準備しておいたほうが、良いのかも知れない。孫から貰ったというお喋り人形に向かって、一生懸命に口をモグモグさせながら、話しかけている姿を観ながら、ニコニコして、バイ・バイを残された不自由な左手でしてくれた。頑張って、療養に、励んで貰いたいものである。叔父と久しぶりに、夕食を共にして、車で、自宅まで送り届けたが、やはり、夜、一人になると、一緒に過ごした昔を想い出し、淋しくなるそうである。