小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

窓外の景色と色合い:

窓外の景色と色合い:

ガラス越しに眺める景色も、何とはなしに、気が付けば、緑色から、黄色や赤に変色し始めた葉の移ろいに、驚かされる。司馬遼太郎だっただろうか、庭というものは、いや、庭の景観というものは、何世代にも亘って初めて、作られるもので、一朝一夕に、出来るのではない、、、、、、と云っていた言葉を想い起こすが、確かに、著名な著述家が、長逗留しながら仕事をするような有名な旅館の庭でもない限り、なかなか、普通のサラリーマンが、自分の家の庭を、キャンバスを染めるようには、思い通りにゆかぬものである。冬から、春にかけて、或いは、初夏に掛けて、草花が、芽吹いてくる頃も、なかなか、趣きがあって、宜しいようであるが、私は、何と言っても、緑の木々が、とりわけ、楓やモミジの葉達が、紅葉し始める頃から、晩秋に掛けてのやや肌寒くなり、霧がかかる季節が、とりわけ、好きである。里山の景色は、全く、春の生命の息吹を感じたり、夏の如何にも、躍動している頃とは、違って、人生の黄昏時を、まるで、自分の人生の瞬間になぞらえるようでいて、その色合いの変化を愉しめて宜しいではないだろうか。それは、日一日と、微妙に、移ろいゆく季節を、色彩というキャンバスで、景色を眺めることで感じられると言うことでもある。やはり、針葉樹だけではなくて、広葉樹も、とりわけ、黄色や赤に、変色する樹木や、草花も、必要になろう。或いは、無駄であるような蔓なども、この季節には、とても、綺麗な赤や黄色に、夕陽や朝日を浴びて、ひときわ輝きをますものである。山モミジは、どんどん、育ってゆくものの、楓やケヤキ辛夷は、種から、播いたせいだろうか、まだまだ、小さくて、おまけに、今年春の大雪で、成長したと思った枝が、途中から、何とも空しく、折れてしまったのは、残念なことである。これも、自然の摂理だから、致し方の無いことであるが、何とか、黄色に紅葉する葉を早く、みたいものである。以前ならば、この季節には、白樺の葉が、見事に、黄色く染まり始め、赤いモミジの紅葉との競演が、愉しめたものであるが、カミキリ虫に、まるで散弾銃の爪痕のように、ボロボロに、打ち抜かれて、見事に、枯れ果ててしまった。小雨に烟る赤や黄色の紅葉は、この季節ならではの趣きであろう。ガラス越しに見える景色も、後ひと月もすれば、一面、茶色一色になってしまうかも知れない。それでも今は、同じモミジでも、個性豊かに、それぞれ、彩りが異なり、ある木は、まだ、緑色だし、又、歩きは、上の方から、黄色に、更には、赤く枝毎に、木々毎に、その色合いと紅葉のスピードが、異なるのは、実に、人それぞれの人生模様とは良く言ったもので、そのグラデーションと共に、趣きがあって宜しい。