小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

健康に考える:

健康に考える:

現役の若い頃は、風邪ですら、患ったことは、あまりなかったし、ましてや、寝込むなどということは、滅多になかった程、健康には大層、自信があったものである。考えてみれば、昔は、確かに、夜遅くまで、飲んでいても、翌朝には、朝一番に、二日酔いでも、出社しろなどと、良く言われて、そんな社内教育を、上司から、受けたものである。そんな我々の世代も、既に45年ほども、経過してくると、既に、病を得て、その結果、家族を遺して、帰らぬ人になってしまった友人やら、取引先の人達が何人もいるのが事実である。そして、毎年、年末間近になると、忘年会や懇親会の席には、知り合いの訃報が、知らされて、冒頭の黙祷で、会が、始まったりするものである。今年も又、ご多分に漏れず、同じような有様で、自分の健康もさることながら、友人達も、同じように、身体のパーツが、長い間の金属疲労の結果、耐用年数が過ぎることで、メインテナンスの必要や、取り替え時期に差し掛かかりつつある。それにしても、健康管理だけは、どれ程、声高に、経営者や組織のトップが叫んでみても、最終的には、冷たく、「自己責任」という一言で、ぷっつりと、終了してしまうものである。「便りのないのは、良い知らせである」などと、タカをくくっていると、既に、重篤な病に罹っていて、死の床に、ついているとか、風の噂に聞きつけたり、手紙を書いても、以前は、筆まめに、返信してきてくれたのに、一向に、時候の挨拶も、来なくなると、急に胸騒ぎがしてくるものである。最近では、思いついたときに、すぐに、落ち合って会食したり、できる限り、即実行することを心掛けている。そうでもしておかないと、いつ何時、お互い、どうなるのか、分からないし、後悔することになってしまうかも知れないから、、、、、。喪中葉書が、一段落すると、今度は、年賀葉書に、どんな近況報告が、綴られているのであろうか、お互いに、気になるところである。