小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

ネット中毒、ギャンブル中毒、薬物中毒、○○中毒、○○依存

ネット中毒、ギャンブル中毒、薬物中毒、○○中毒、○○依存、、、、、:

言葉というものは、ある種の真実を語るものなのか、それとも、実態を隠す、或いは、真実から、目をそらせることに役立つものなのか、表現が一つ違えば、随分と、マイルドになるものである。一昔前に、一種のダイエット法として、デトックスという手法が持てはやされたが、考えてみれば、肉体的な老廃物も含めて、これらを食物で、一掃するという手法は、医食同源のようで、理解出来ないことはない。しかしながら、それにしても、至る所で、日本中、○○中毒の蔓延なのであろうか?もっとも、○○依存症というように、病名風になると、そんなに事は容易ではない。私の世代には、これまでは、何でも「○○中毒」と言ったような表現の方が、より厳しく、麻薬中毒患者のような響きがしてきて、緊迫感が漂うような気がしてならないが、、、、、。それにしても、スマホの普及や何処でも可能なネット接続の簡便さを主たる背景理由にして、「ネット依存」と称せられる人達が、420万人と推定されるそうであるし、「ギャンブル依存」は540万人、「アルコール依存」は、約109万人だそうである。一体全体、「薬物・たばこ依存」や○○依存という範疇を加えてくると、一体全体、総労働人口数のどのくらいの割合の人間が、依存症(中毒)に関わってくるのであろうか?逆説的に言えば、現代社会というものは、肉体的にも、精神的にも、健康である人の方が、謂わば、一種の「絶滅危惧種」のような存在になっているのではなかろうか?そんな気がしてならない。「依存」等というような生ぬるい表現上の如何にも人権に配慮したようなまやかしの言葉ではなくて、もっと、鋭く、現実を直視できるような「中毒」といった方が適切ではないだろうか?その方が、患者も、その家族も、よりはっきりと、現実を直視し、デトックスにはげむようになるのではないだろうか?少なくとも、同世代の人間としては、濡れ落ち葉的な「女房依存症」には少なくとも、なりたくないものである。下着の置き場も、畳み方も、自分で、出来ますよ的な、、、、、、、、、。何とも頼りなく、情けなくなりますが、、、、、、。これも現実かも知れませんね。