小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

新型メディアによる統制:

新型メディアによる統制:

街の美観を損ねるとかという理由で、数多くの新聞のスタンド売りが、当局の強い意向により強制撤去されたそうである。しかも、この日常見慣れた新聞スタンド売りという光景には、その販売に依存して、広告収入に頼っている中小民間新聞社の経営にも直接影響を及ぼす事は必至と云われている。その影響たるや決して、小さなモノではない。そんな記事が目にとまった後から、今度は、新型メディアによる新しい宣伝工作媒体の創出を狙って、当局は、ミニブログや対話型アプリの融合を含んだメディア媒体の新たなる管理策を打ち出してくる構想があるようである。成る程、これでは、海外SNSに対する規制で、ツィッターやフェース・ブックも、規制の対象になるのは、当たり前であることが、改めて、再認識されよう。ゲッベルツによる大衆宣伝・扇動やマス・メディア統制などにも、決して、その数と質の優位では、優れども劣らない新たなメディア・ミックスが、これから、いよいよ、現実的に、始まろうとしている。一方、韓国でも、国家元首に関する報道について、産経新聞の特派員を事情聴取するとか、何とも、メディアに関する自由度・開放度の水準というものを考えさせられる出来事が、多く散見されるのは、一体全体、どのように理解したら良いのであろうか?国内外で、メディアの受難時代なのであろうか?それとも、徹底抗戦に徹するのであろうか、将又、お利口さんな自主規制という1億総翼賛体制と言う形で、絡め取られるのであろうか?新聞を読めば読むほど、先行きが不安になってくるのは、私1人だろうか?これは隣の国の話だけは済まされない。