小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

65歳定年制の延長に考える:

65歳定年制の延長に考える:

公的年金の延長に伴い、その空白期間の対策として、定年を65歳にまで、延長して、その希望者全員の雇用を確保しようとするものであると。私は、社会に出てから初めて、随分と、色々なことを組織から、社会から、教えて貰い、或いは、学ばせて貰ったが、石の上にも、3年ではないが、21年間、修行(?)を積んでから、選択定年制が、施行されるや否や、「待ってました!」とばかり、独立することにしたが、それ以来、サラリーマンという被雇用者の気持ちも、同時に、雇用する側の立場も、両方、幸いにも、よく理解出来るようになった。いつの頃だったか、忘れてしまったが、確か、夫婦揃って、定年後の生活設計とかを学ぶセミナーを会社が開催してくれて、一日24時間の過ごし方を事細かに、円グラフで、起床から、就寝まで、描きなさいとか、生まれてから、死亡するまでの年表を、イベントを記載しながら、書き出しなさいなどと、結構、目から鱗的な「定年前の心構え」を学んだことを想い出す。今、考えると、まさか、病気になるとか、中には、友人ではないが、鬼籍に仲間入りしてしまうとは、本人も思っていなかったであろうが、こうした予測不能な出来事が、人生にはつきものである。しかし、その時、まだ、若いと思っていても、万人に、時間というものは、非情にも、これだけは、「時間は均しく平等」である以上、後、何年かすれば、両親も、幾つになり、自分も、幾つになり、そして、その時、どのような生活をしているのであろうかということを想像することは、決して、無駄ではないであろう。若い人の雇用の機会を脅かすことなく、社会貢献や地域貢献などと云うとおこがましいが、むしろ、これまで学ばせてもらったノウハウを、お返しするような作業を、若い人達と一緒に、協働作業できる機会をつくりだすことが肝要であろう。いつまでも、社会的な肩書きや地位や、名刺に拘っていても仕方ないであろう。むろん、総人件費が、どのくらい上がるかどうかは、定かではないが、その分、年金の支給が、後になる分と較べると、同じ程度でなければならないが、、、、。生涯現役であれば、別であろうが、なかなか、そういう訳にはいかない以上、若い時から、遅くとも、「人生設計」を描いておかないと、知らぬ間に、気が付くと、親爺と同じ歳になっていた等という笑えないことが、起きてしまいそうな時代である。もっとも、「それが、描けない時代ですよ!」と云われると、本当に、そうなのであろうかとも思わざるを得ない、いつの時代でも、幕末も、明治も、大正も、昭和の戦前・戦後も、まさに、同じだったのではないだろうかと思うが、、、、、、、。本当ならば、もっと、若い時から、自由に、気儘に、最低年金が保証されるような制度が出来れば、何も、65歳になるまで、働かなくても良さそうであると思うが、、、、、、。さて、どうしたものであろうか?