小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

広島の牡蠣をいただく:

 

広島の牡蠣をいただく:

 

広島に住む学生時代の友人から、今年も、「牡蠣を食べますか?」という有難いメールが、やってきた。早速、「有難く、頂戴致しますよ!」と返事を返した。何でも、奥様が、牡蠣が召し上がれなくて、牡蠣を贈るときには、必ず、相手の意思確認を事前に行ってからでないと、駄目ですよと、念を押されているとの由であった。最近では、何かと、合理的に、お互い、贈り物なども、「相殺勘定」で、贈ったり、贈られたりすることを、省くことが、多くなってきてしまった。お年玉なども、近しい親族の間では、もはや、この「相殺勘定」とやらが機能して、面倒な手作業や、世間相場に、悩まされずに済んでいるのも、事実であろう。若い時は、そんなことも、割り切ってしまいがちになり、合理的だから、それも良いだろうと、考えていたが、どうも、齢を重ねるにつれて、「あの人は、元気にしているだろうか?」とか、たまには、年賀状だけでなくて、季節毎の旬な品物でも、贈ってみようかとも思い立ち、気まぐれで、何の音沙汰もなく、突然、贈り物をしてみたくなるものである。お互い、贈り、贈られ合うのであるから、どちらが、得をしたとか、損をしたとかという筋合いのモノではない。只、単に、お互い、美味しいものでも、贈り合って、愉しもうではないかと、、、、、。まぁ、一寸、気の利いた年寄りの道楽的な時候の挨拶に、毛が生えたようなものであろうか、たまには、気紛れに、「相殺勘定」という現代合理主義的な考え方を忘れて、そんな気遣いのひとつもやってみるのは、粋な計らいかも知れないが、如何なものであろうか?お陰様で、生牡蠣、バター炒め、牡蠣フライ、牡蠣のシチューと、お腹も壊すことなく、美味しく、その味と旬の季節を満喫しながら戴きました。ご馳走様でした!