小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

我が老犬の誕生日に想う:

我が老犬の誕生日に想う:

 

といっても、誕生日が、書類で、ハッキリしている訳でもない。出生証明書も、血統書が有るわけでもない。只単に、城南島の動物愛護センターから、二回に亘る講習終了後に、貰い受けてきた日(199551日)が、生後3ヶ月程の子犬であったという事実以外には、何らの証明書も無いのである。従って、当然、氏素性も、どんな母犬から生まれて、どんな犬が、父親だったのかは、皆目、見当がつかない。但し、4匹の姉妹犬の一匹であったことだけは、紛れもない事実である。背中の模様からすると、恐らく、シェパードの血が、何処かに、そして、前脚を一寸曲げて、臭いを嗅ぐところは、何処か、猟犬の血が、いくらか、混じっているようであることは事実であろう。小さな段ボール箱に入れられて、車で、運んでくる間中、淋しかったのだろうか、ずっと、私の左指を、舐め続けていたのを想い出す。脚の弱った父の散歩のお供に、又、私と中学生の息子の希望もあって、子犬を飼うことに決めたが、いきなり、その日は、息子の部屋で、環境の変化に慣れなかった為なのか、お腹を壊して軟便を垂らして、すさまじい臭いが、部屋中、廊下中に、充満した。近くに、開業したばかりの動物病瓶で診てもらうと、助かるかどうか、分からないとも、云われたが、何とか、その後、回復して、犬年齢満で、18歳になる。幼少の時から、散歩の時に、ティッシュ・ペーパーを、必ず、拾っては食べる癖があった。私は、氏素性が分からない(卑しい?)から、全く、悪食癖であると、いつも、叱責しながら、口にくわえた塵紙をとったものであるが、今でも、この癖は、矯正されることがない。殺処分・ガス室送りになるところを、自分の力で、こちらが呼びかける口笛に反応して、小さな足で、チョコチョコとついてきたことは、この犬の持って生まれてきたところの「運の強さ」だったのかも知れない。だから、初めから、口笛に、反応して、応えてくれた犬を、引き取ろうと決めていたのである。まさに、これに、応えたから、君は、Luckyという名前を命名されたのである。エメラルド・グリーンの瞳が、いつも、飼い主である私の眼から、アイ・コンタクで、凝視して、「絶対に、もう、目を離さないぞ」という強い意思を、その瞳の奧に、子犬の頃から、いつも感じられた。流石に、今では、もう、その瞳も、濁って、澄み切った美しいエメラルド・グリーン色の瞳は、見ることが出来ないし、目も耳も不自由になってしまい、更には、後脚も弱ってきているが、指を舐めて離さないのは、子犬の頃と同じである。シャンプーをする度に、嫌がるのも、きっと、雨に濡れて、びしょ濡れにでもなった嫌な経験からなのであろうかと、勝手に、推測したりするが、今でも、風呂場では、大きな声で、嫌がって吠えることを止めない。流石に、海外旅行にこそ、連れてはゆかなかったが、何処にでも、家族と一緒に、車で、(自分の席に、チャンとお座りして、もっとも、段ボール箱であるが、)連れて行ったものである。大好きだった父と母が逝くのを見送り、子供達の成人を見届け、後、どのくらいの時間を一緒に、過ごせるのであろうか?よしよしと、身体を撫で回してあげると、安心したかのように、目を細め、すり寄ってくる。もう、自由に、吠えたいときに吠え、歩きたいときに歩き、寝むたくなったら、寝て、自由気儘に、ストレスなく、生きてもらいたいものである。犬でも、猫でも、小鳥でも、動物というモノは、長い間、一緒に暮らしていると、大切な家族の一員になるものである。決して、目を離さないのは、アイ・コンタクトで、きっと、「私を見捨てないで下さいね!」、と見えなくなってしまった目で、訴えかけているようである。自分で、自分の生を切り拓いたから、君は、「ラッキー」なんだよ!