小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

「きゃりーぱみゅぱみゅ」的なるもの?

きゃりーぱみゅぱみゅ」的なるもの?
最近では、もはや、「名は、体を表さない」のは、これで、間違いない!。余りに、名前が、長すぎて、舌を噛みそうで、もう、訳が分からない。ウィキペディアで、調べてみると、アルファベット表記はkyarypamyupamyu。正式な芸名はきゃろらいん・ちゃろんぷろっぷ・きゃりーぱみゅぱみゅ(Caroline Charonplop Kyarypamyupamyu)だそうである。タイ人名っぽいゾ、だが、日本名は、何と、竹村桐子だそうで、現役高校在学中であると。これでは、源氏名でも、何でも無いではないか。この日本語の表記は、何処で、区切ったら良いのだろうか?そもそも、日本語ではないのか?それとも、ぱみゅぱみゅという一語なのか?或いは、ぱみゅで、一度、区切るのか?もし、区切るとすれば、どういう意味なのか?記号か、符号か?いや、全く別の意味合いなのか?モデルなのか?歌手なのか?ダンサーなのか、影武者までもいるらしい、又、ドレス・コードを自ら、設定するとも、考えているらしい?ドレス・コードよりも、自らのアイデンティティー・コードを、明確にすべきではないだろうか?もっとも、そんなことをしたら、台無しになってしまうか?もう、オジサンには、さっぱり、分からない。現代では、今や、見かけだけでも、怪しげで、性別ですら、うかうかすると、峻別不能である。外見が、第一などと、言っていた人もいたが、就活の人は、羨ましく思っているのだろうか、ましてや、名前ですら、今日では、どこからが、姓で、何処が、名前なのか、それとも、合い言葉か、符号なのか?新種の「青文字系」の未確認生物(Unidedentified Misteriou Animal)なのか? 分かりにくくすることが、正体不明であることが、売りになるのか?ここまでくると、オジサンには、ますます、不可解、摩訶不思議であるとしか、表現の仕方が分からないものである。10年後、いや、30年後、(もう生きていないから、まあ、良いか?)果たして、この名前を、記憶している人が、いるのだろうか?一人でも、多くいることを願ってやまないし、自分の存在を、identifyする為に、敢えて、こういう名前を使って、才能を開花させることを目指しているのであれば、オジサンは、陰ながら、応援することにしよう。スタッフは、さぞや、才能ある人達であろうと思うので、、、、、、。褒めすぎだろうか?歌詞の意味も、今一、理解不能、全く、摩訶不思議である。