小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

アンノン族とカニ族と

アンノン族とカニ族
もう、70年代という時代も、程なく、半世紀も前のことになるのであろうか?アン・アン、ノン・ノンという女性雑誌が、流行っていた頃、ディスカバー・ジャパンではないが、「自分探しの旅」と称して、独身の女性達が、雑誌を抱えて、旅をしたものである。それに引き替え、貧乏だった我々、学生は、鈍行夜行列車に揺られながら、北海道や九州周遊券という、今で言うところの格安切符で、鈍行の列車の旅を楽しみ、その適当な出たとこ勝負の宛のない往き先々の駅舎で、大きな幅のあるリュックの上に、積み込んだシュラフを拡げて、(狭い通路を、まるで、蟹のように、大きなリュックを背負って、横に、歩くことから、カニ族という名称がついたものであるが、、、、)まずは、公衆浴場と大衆食堂を見つけては、野宿して歩いたものである。多少、設備に恵まれた大きな観光都市では、所謂、ユース・ホステルに、宿泊して、旅の垢と疲れを、温泉に浸りつつ、癒やすという具合であった。今から想えば、未だ、飛行機にも乗った経験がなかったのには、改めて、驚かざるを得ない。それは、まだ、2−3年先のことになるが、、、、、。確か、釧路から、乗った列車で、前の席の女性陣が、これから、飛行機で、東京へ、帰るとか、話をしていて、何とも羨ましく、思った記憶がある。もっとも、その時に、雫石で、全日空機が、自衛隊機と空中衝突して、多くの犠牲者が出たニュースが、偶然、携帯ラジオから、流れてきて、我々は、鈍行列車で、良かったなあと、貧乏学生の運の強さを、何故か、再確認したものである。セルフ・ディスカバリーという人生の旅は、一体、何処へ、行ってしまったのであろうか?あの時の1ヶ月に亘る周遊旅行は、かけがえのない経験と、それ以降に待ち構えていた社会からの鮮烈、且つ容赦の無い洗礼に対する抵抗力を、身につけさせてくれた。友人には、シベリア横断や、インド無銭旅行など、今から思えば、随分と無茶な冒険とも言えなくはない旅行と経験を積んだ者もいる。長い人生の中では、1ヶ月くらい、こんな旅をしてみても、良いのではないだろうか?若いということの特権であろうから、、、、、、。その後の仕事での海外・国内出張や、海外旅行にも、その時の経験は、生かされているのではないかと思うが、、、、。人生の旅の終着は、まだ、少し、先であろうか?