小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

90歳の義理の母に教わる:

90歳の義理の母に教わる:

自分の両親は、二人とも、既に、合計7年間の介護の末に、逝ってしまっているし、又、義理の父も、既に亡い。今年、既に、90歳になる義理の母は、私の母よりも一つ若く、今でも、元気に、頭もしっかりしていて、江戸時代からの長い歴史を有する農家の後を継いだ義理の弟夫婦や孫夫婦、それに、曾孫に囲まれて、何不自由なく、暮らしている。何でも、流石に、最近では、家庭で消費する畑仕事も、庭の草むしりなども、無理をせずに、腰を痛めない範囲で、行うようにしていると、、、、、、。お金にも、健康にも、家族の人間関係にも、恵まれて、何不自由なく暮らしているように、みえるものの、本人曰くでは、「生きてゆくことは、本当に、大変なことだねぇ!」と云われてしまった。最近では、自分で、死にたくても、死にきれずに、赤の他人を殺傷して、事件を起こしたり、又、虐めなどで、自ら、若い人が、命を絶つことを選ぶような時代であることからすれば、戦争やら、戦後の農地改革で、土地を強制的に、取られてしまったことなどを考えると、確かに大変だったのであろうとは、想像に難くないが、それでも、90歳の皺だらけのお天道様のしたで、真っ黒に日焼けした顔で、節くれだらけの指を見つめながら、そう言われると、何とも、その言葉の響きは、重いモノがある。実際、自分は、そんな歳まで生きているかどうかも不確かな以上、改めて、年老いた何不自由ない幸せそうにしか見れない義理の母から、云われると、考えさせられてしまう。友人の末娘さんのように、生きたいと願っても、若くして、病に、負けてしまうことも、又、親よりも先に、ある友人の如く、先に、若くして、逝ってしまったり、人生、全く、思い通りにはゆかないものである。そんな義理の母の言葉を考えていたら、学生時代の同級生が、全く、健康そのもので、ゴルフも、毎月、愉しんでいたのに、突然、膵臓癌が発見されて、激やせしてしまったということを聞いた。何とも、自分自身で、解決したり、支援できたりする性格ではない以上、如何せん、どうしようもない。電話で、声を聴いても、どのように、言葉を掛ければ良いのであろうか?最近は、同年代の知り合いが、相次いで、病気で、逝ってしまうケースが、余りにも、蔽いのが、気懸かりである。もっとも、自分も、いつ何時、どのような出来事に見舞われるか、予想不能であるが、どうにも仕方ない。取りあえず、手紙と、お見舞いの品でも贈っておくことにすることにしようか?なかなか、電話では、感情が、昂ぶりすぎて、冷静に話が出来ないことであろう。人が亡くなるのに、早すぎるとか、良くぞ、生き抜いたとか、お祝いであるとか、云われるが、決して、そんなことはない。やはり、死は、時間の問題ははない。生かされていることの意味をもう一度、考え直しておかなければならないのかも知れない。