小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

責任能力という怪:

責任能力という怪:

何でも、生活保護中であったとか、知的障害者の手帳を有していたとか、或いは、黙秘を続けていて、弁護士を要求してきたとか、責任能力がない可能性があるので、責任能力を立証できず、刑事責任が問えるかどうか、分からない可能性もあるとか、様々な憶測が入り乱れているが、一体、どの警察発表が正しく、マス・メディアの報道を信じたら良いのであろうか?謎は、深まるばかりである。それにしても、最近、弱者による弱者への事件が、増加しているのは何故なのであろうか?戦争中の社会的な弱者による弱者への戦争という名を借りた暴力的な抑圧の転移と心理的な構造が酷似しているのは気懸かりなところである。盲人への知的障害者による暴行事件や、若い女性の誘拐殺害事件とか、幼女・学童への誘拐未遂事件とか、そのたびに、精神障害とか、知的障害者の問題が、喧伝される。一体、健常者が、まともでも、その健常者ですら、今日、肉体的にも精神的にも、誰が、自信を持って、健全であると云えるのであろうか?それにしても、社会の中で、社会的な弱者を見守るシステムが、なかなか、機能していないことは、残念なことである。病気や疾患による精神の障害なのか、知的な発達障害なのか、健全であると自負している人間ですら、一瞬、自分は、本当に、大丈夫なのかと、危ぶまれる程、全く、怪しくなる世の中である、ホームレスを支援しているボランティアの人達や、善意で、知的障害や発達障害を抱えている人達を支援している人達には、全く、やりきれない事件ばかりであろう。またぞろ、刑罰の強化とか、隔離政策とか、性的な犯罪者に対する韓国並みのGPS足枷を装着させるとかという議論が、出てくるのであろうか?成熟した社会での良識というものも、これまでとは違った風向きに変わりつつあるのであろうか?こういう事件が繰り返される度に、北風が吹きまくってくるような、善意がまるで、ますます、肩身の狭い思いをするような事態背景に、なりつつあるような気がしてならない。もう少し、事件の解明を待たなければ、何とも、云いようがないのが、現状だろうか?