小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

裁量労働時間制に考える:

裁量労働時間制に考える:

昔、自分のサラリーマン時代には、朝は、まず会社に出社して、タイム・カードを押してから、取引先に出掛けたり、直切外出、直接帰宅、(略して、直外・直帰と呼ばれたが)することは、なかなか、難しかったものである。兎にも角にも、まずは、会社に出向くことが義務のようなものであったのである。従って、どんなに、遅くまで、取引先で、会議をしていても、そこから、又、1時間以上も掛けて、再び、事務所へ戻り、書類や連絡をしてから、結局残業をしてから、帰宅したり、中には、この残業代目当てに、新入社員の頃には、事務所に、遅く帰ってくる強者もいたものである。特殊な業務である為替ディーラーが、一体、何人、市場関係者の中にいるのであろうか?しかも、そんな人間は、毎日、時差も関係無く、何十年と昼夜分かたず、1000万円以上の年収を貰って、昼夜逆転した労働の中で、一体、どれ程いるのであろうか?確かに、労働生産性を上げる事自体は、決して、間違ったことではないが、それが、正当な成果報酬として、評価されることとは、別問題であろう。数値化という一つの尺度も、これ又、美しい言葉であることに相違はない。研究開発などと言う代物は、そもそも、陽の目をみない方が長いものであって、陽の目を見るときには、大体、基礎研究や車輪を一生懸命に苦労して押した連中は、忘れ去られたり、いないものである。ことほど左様に、物事という物は、後から僥倖に恵まれた一部の人間しか、幸運にも、恵まれないことを数多くの人達は、知っている。子供の頃、どれ程の人達が、郵便番号の導入や切符切りを廃止して、自動発券機や自動切符機械の導入を生産性の向上と考えて、賛成したであろうか?労働者の職場と雇用の機会を奪うなと反対していたのに、今度の裁量労働時間制の導入は、一体、どうしたものなのであろうか?だいたい、年収1000万円以上の労働者が、或いは、管理職と呼べるものが、全体の中で、どのくらいいるのであろうか?これまでのロー・コスト・オペレーションという非正規雇用やパート・タイマーやアルバイトの低賃金を大前提にした仕組みは、今や、人手不足と言う形で、破綻に貧している以上、働く側の人間も、意識の改革の良いチャンスであろう。20余年前に、独立時に、大きな組織に、フリーランス業務委託契約を提案したものの、結局、労働組合の規約とかに合致せずに、やむなく、選択定年制により、円満に(?)退社、独立したものであるが、今ならば、別会社とか、孫会社と言う形で、実現できたのかも知れない。今後予定される裁量労働時間による法改正をきっかけに、若い現役の人達は、独立自営か、創業の途を選ぶのも、一つのチャンスかも知れない。それよりも、ブラック企業のごとく、過労死や過剰労働時間やサービス残業の合法化や劣悪な合法的な闇労働環境の一層の蔓延の方が、何とも、心配である。労働監督基準局による摘発などというものも、実際、詳細な訴えが基本であり、しかも、それが、証明されない限り、是正はおろか、改善などは、まず望めないのが現状であろう。それにしても、現役の人は、これから、本当に、大変なストレスが溜まりかねない時代になるのであろうか?誰が、一体、労働者、働く者を守ってくれるのであろうか?自己防衛手段は、何なのであろうか?生産性の向上と成果主義という狭間で、どう生き抜いて行ったら良いのであろうか?真剣に考えないと、いつも、受け身で、結局やられてしまいかねないのでは、、、、、、、、、と思われるが、、、、、。