小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

今年の夏は、色々な帽子を被ることにした!:

今年の夏は、色々な帽子を被ることにした!:

別に国際的な著名な帽子デザイナーである平田暁夫さんが亡くなったから、それに触発されたわけではない。只単に、禿げ隠し(?)なのかも知れない、そう言われても、自信を持って、否定しきれないところがあるのは、どうしたものであろうか?それにしても、同年代の友人達も、どういう訳か、この年頃になると、チロリアン・ハットのような帽子までも被り出し始めている。現役時代には、これはなかった現象である。どういう心境なのであろうか?昔は、父の若い頃の写真には、結構、帽子を旅行にも被っていき、他の参加者達と一緒に、その帽子を被っている写真が、アルバムに残されてもいることを記憶している。夏場は、日差しがきついこともあって、外での作業などには、小バエやアブよけのネットが折りたたまれているサファリ・ハットや、風通しの良いストロー・ハット、これは、又、ゴルフでも、蒸れなくて、風通しが良くて、大変便利である。ベトナムの古い友人が、旅行の土産にといって無理矢理買ってくれたベトコンの緑色のジャングル帽子も、なかなか、夏場には、良さそうである。もっとも、街中には、流石に、これを被って歩いてゆく訳にもゆかず、もっぱら、これは、自宅での庭いじりの時に、被るのが最適であろう。緑の樹海に、カモフラージュで、紛れ込みそうである。ベトコンになった心地になるのは、不思議である。ゴルフ・キャップは、スポーツの時には、一番便利である。テニスにも、よく被ったものである。平静は、夏物のハンチングが、手っ取り早いかも知れない。昔、腕時計に、凝った友人がいたが、どうも、私は、余り、関心がなかった。所詮、時間を見るだけの物であるとしか、割り切れなかったからであろうか?その点、帽子は、結構、被っていると、面白くて、実用的である。TPOに応じて、使い分けるだけではなくて、結構、被るという行為自体が、何か、新しい自分を装うような感じがしてならない。個人の帽子デザイナーをお願いするなどとなると、それはもう、大げさな話ではあるけれども、決して、夢物語ではないかも知れない。皇室御用達とまでは行かなくても、ワイシャツの仕立てとか、カフス・ボタンに凝るとか、或いは、ネクタイに凝るとか、靴に凝るとか、帽子に凝るという究極の選択も、如何であろうか?そんなところにも、何か、ビジネス・チャンスは、ひょっとして、転がっていたりはしないであろうか?もっとも、一点、2000-3000円程度では、余り大金商売規模にはならないのであろうが、、、、、、気落ちはもう、何故か、ゆったりとした気分になるのは、この上なく間違いない。帽子を被るという言うことをもう一度、見直してみたいものである。そうすると、生活にも、何か、変化が出てくるかも知れない。そんな気がしてならない。