小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

熟年離婚という現実を身近に感じる:

熟年離婚という現実を身近に感じる:

といっても、自分自身のことではない。昔の親しかった仕事仲間のことである。それも、既に、何人目かの現実である。確かに、周りを見回しても、何らかの形で、離婚に至った友人は、知っているだけでも、何人にもなるのは、これが、現実なのである。しかしながら、ある程度の年齢での所謂、熟年離婚となると、これまでは、それ程、多くはなかった。むしろ、パートナーのどちらかが、先に逝く形で、一人になってしまった事例は、毎年暮れの喪中葉書でも、了解されようが、なかなか、熟年となると、子供達も、既に、家庭を有していたりと、微妙な問題が残りそうである。それでも、何らかの事情で、やむを得ず、離婚に至った理由を聞くにつけ、複雑な思いがする。人生色々、男も色々なのだろうか?説明によれば、どうやら、年金も、半分は、相手に持って行かれるとのことである。金銭的なものもさることながら、精神的なダメージも、そんなに簡単に切り替えられるものなのであろうか?もっとも、説明によれば、本人側にその熟年離婚に至った理由があるのであるから、仕方が無いのであろうが、、、、、。ましてや、それが、海外での新しい(?)生活を今後、残りの人生の中で、送らなければならないということになれば、それはそれで、又、大変なことであろうことは、想像に難くない。おまけに、思いがけない病気も、不幸にも重なり、まさに、満身創痍である。本人曰くでは、厄年で、前厄・本厄・後厄と、大変だよと、皮肉っぽく自嘲気味に、揶揄していたが、、、、、、、。これも、一言、事故責任と言う言葉で、終わらせることが出来るのであろうか?なかなか、複雑な思いである。孫もいるこの友人の熟年離婚は、新聞では知っていたが、まさか、身近に起こるとは、思ってもいなかったが、、、、、これも、どうやら、現実であるのか?改めて、自分だったら、、、、、、と、考えてしまう。