小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

ロス・インディオスを聴く:

ロス・インディオスを聴く:

久しぶりの歌謡曲談義である。今の若者は、好きな曲をダウンロードしたり、更には、これを上廻って、ストリーミングで、聞く方向へ向かっていると報じられているのを何かで、読んだような気がするが、年寄りには、やや、ついて行くことができない。依然、ダウンロードした曲は、そのサービスが終了してしまい、おまけに、セイブしておいたPCのHDも、PCのバージョンアップに伴い、結局、どういう訳か、再生不能・読み込めずに、パーになってしまった。そういう経験から、どうも、CDの方が、どうやら、信用がおけるというか、資産価値としては、安心する訳(?)である。たまたま、フラッと、スーパーの売り場の帰りに、ワゴンに眼をやると、様々なCDが、眼に飛び込んできた。ただ、それだけが理由である。ロス・プリモスか、インディオスの違いもよく分からないが、曲名くらいは、想い出しそうである。「コモエスタ赤坂」、「別れても好きな人」、「星降る街角」、「知りすぎたのね」、「男と女のラブ・ゲーム」等々、そう言えば、その昔、お客さんを連れて接待した外国のカラオケで、おネェちゃんと一緒に、歌った曲ばかりである。なかにし礼や佐々木勉、浜圭介、山口洋子馬飼野康二森田公一等の作詞や作曲に、懐かしさを感じて、衝動買いしてしまっただけのことである。お陰で、スーパーのポイントに貢献したが、、、、.。それにしても、ムード歌謡コーラスというか、デュエットというものは、今や、絶滅危惧種になってしまったのであろうか?又、唄の中に出てくる土地の名前にも、懐かしさを覚えるものである。火災で焼失してしまったホテル・ニュージャパンがあった頃の赤坂、青山、原宿、表参道、青山通り、渋谷、高輪、乃木坂、そして、ラテン語の響きとネオン街や、ダンス・ホールの灯の光とか、そうした今や絶滅危惧種になってしまった風物詩や子供の頃の場末の雰囲気とかが、曲や歌詞の中で、仮想空間として、蘇ってくるのである。まともに、現実の生活の中で、こんな歌詞のようなことをしていたら、実生活は、おろか、ビジネスでも、身体が持つことはないであろうことは、言を俟たない。その意味で、これらの曲を聴くと云うことは、一種の仮想空間での昔の、或いは、現実離れした夢想に近い虚構の世界の願望(?)を、或いは、又、別人格の自分や、不可能である別のもう一つの人生という生き方を、更には、現実にはあり得ないような疑似恋愛体験願望をも、愉しませてくれる時間なのかも知れない。そう考えれば、1480円で、16曲とは、考えようによっては、安いものであろう。「小雨降る街を ぬれて二人 恋いの哀しみを 胸にかくして、、、、、雨の赤坂の 白い坂道、、、、雨の青山の ぬれた灯、、、、、」と曲と共に、過去の時間と仮想空間の世界を想像するのも、「涙と雨に濡れて 泣いて別れた二人 肩を振るわせ君は 雨の夜道に消えた、、、、、、わけも知らずに僕は 後ろ姿見てた、、、男泣きして僕は 涙と雨にぬれた、」と、一時を愉しむのも、おおいに、精神的なストレス解消にはなるのではないだろうか?こういうスローテンポの曲が、年寄りには、秋の夜更けには、宜しいですね。ちょっと、ブランデー・グラスなどを温めながら、ソファーで、ゆったりと、耳を傾けるのも、宜しいかも、、、、、。もっとも、認知症防止にもなればもっと、宜しいが、それは、どうなのであろうか。カラオケが、効果があるとも風聞するが、一緒に、口ずさんでみるとしましょうか。