小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

ビールの味は、酒税が決めるのか?:

ビールの味は、酒税が決めるのか?:

昔、現役の頃、酒類の輸入を担当していたときに、酒税を如何にして、下げられるか、或いは、高い酒税を適応されずに、酒類を輸入するかということを、多いに、研究をし、結構、これが、収益や販売に、大きく影響をしていたことを懐かしく想い出した。自分は、毎日酒を飲む必要も感じないから、毎日、ビールや日本酒などを購入する必要は、ほとんど、感じないが、これが、毎日、どうしても、酒を飲まないと駄目だという亭主でもいようものならば、酒に費やすお金も並大抵なものでは済まされないであろう。従って、一円でも安い酒を、質よりも量を重視で、購入しなければならない訳になるのであろうか?だからこそ、焼酎や発泡酒や、果ては、第三のビールという一円でも安い商品へという構図になるのであろうか?それが故に、ビールの売り場は、あんなにもたくさんな酒類が、様々なブランド、酒類、季節商品、ご当地限定商品等で、溢れかえっているのであろう。そんな中、何でも、相対的に酒税の幅が大きい本物の(?)ビールの酒税を下げて、逆に、発泡酒第三のビールの酒税を、増税して、税収を上げることを、政府は考えているそうである。どうやら、日本市場での酒の販売というものは、酒税如何によって、決定されているような気がしなくもない。一体、麒麟に対するアサヒのスーパードライの逆襲は、一体何であったのであろうか?ドライとか、切れとか、本来の味に対する闘いから、今や、酒税の多寡、プリン体ゼロとか、糖質ゼロとかという機能性の方に、マーケティングが、制約され始めているのであろう。そして、それは、明らかに、企業収益性という面では、そっちの方が、得策であるのかも知れない。何とも、消費者は何処かに置き去りにされたような側面がない訳ではない。本当に消費者が望んでいるモノではなくて、商品的に、様々な制約を受けざるを得ない状況の下での商品開発なのかも知れない。これもなかなか、大変な仕事でもあろう。消費者には、何とも、難しい、複雑な心境である。肝心の大酒飲みは、どのように、考えているのであろうか?今や、愛煙家と大酒飲みは、肩身の狭い、生き辛い、大変な時代になりつつあるのか?大酒でもない私ならずとも、同情を禁じ得ないが、、、、、。今度は、再び、ビール需要が復活するのであろうか?