小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

読み聞かせ絵本の朗読CDについて:

 

読み聞かせ絵本の朗読CDについて:

 

若い時に、統合失調症を罹ってしまった後輩が、絵本、「だから、わたしは“ラッキー”なの!?」を、自らの手で、ジャケットを印刷し、BG音楽を作曲して、朗読を読み聞かせで、録音して、目の不自由な子供達にも提供出来ないかというメールを、過日、戴いた。自分でも、ICレコーダーに、録音することを勧められたが、何とも、自分の声は、あまり、魅力的なナレーションには、向かないので、二の足を踏んでいたが、まぁ、試しに、やってみようかとも思い、録音ファイルのMP3で、ラッキーの写真とともに、CDにコピーして、送り返しました。早速、これを編集して、何回かの試行錯誤の後に、CDが、完成したので、障害者教育の経験を有する知り合いに、配布をお願いすることにしました。なかなか、どうして、ナレーションというものは、難しいもので、間合いというか、絵の描かれた空間を、如何に、聴く側に、想像して貰うのか、どのような情景を、瞼の裏に、描いて貰えるのか?その声の強弱、抑揚、文章の切り方、一呼吸の間合いの置き方など、文章を推敲するのとは、全く、異なることが、やってみて始めて学習できた次第である。読み聞かせのボランティアというのが、あることは、知っていたが、これは大変な作業であることが再確認されます。イラストの絵を、どのように、その情景を説明するのか?どのように、頭に描いて想像して貰ったらよいのであろうか?音楽も、間合いを置きながら、如何に、繋がりを持たせながら、ナレーションにマッチさせて、どのように、流して行くのか?素人ながら、改めて、自分の声でのナレーションと音楽を聴いてみると、確かに、一筋縄ではいかない作業である。果たして、どんなふうに、受け止められるのであろうか?ボランティアで、目の不自由な人達に、読み聞かせのテープを提供している方は、それはそれで、大変なご苦労をなさっているのではないだろうかと推察するものである。新聞のデジタル化も進んでいるものの、障害者への新聞の読み聞かせとかは、どうなのであろうかと思う次第である。そういう助成金等のサービスは福祉のほうで、あるのであろうか?ふと、そんな感慨を抱いたものである。