小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

アクティブ・スポーツなる概念:

 

アクティブ・スポーツなる概念:

 

成る程、日本語で言うところの「体育」とは、どうやら、富国強兵の為に培われたところの学校教育上の心身を鍛え上げて、立派な兵隊さんをたくさん創り出し、且つ、銃後の守りもきちんとできる婦女子を大量生産する為の一つの手法であったという側面も、持っているらしい。従って、今日、喧しく議論されているところのスポーツ界での体罰や世間一般での虐めも、どうやら、この辺の歴史的な背景とも、まんざら、関係無いとは言い切れないようでもある。フィンランドのスポーツに、フィンランド野球なるものがあったとは、全く知らなかった。クリケットではないが、野球にも、随分と分派した流派があるモノである。もとも、どちらが、本流で、どちらが、分派なのかは、定かではないが、、、、、。確かに、今年開催されたWBCの世界大会でも、イタリアやオランダなども、結構、ヨーロッパ勢のレベルが高いことが分かったのは興味深いことである。それにしても、子供の頃から、多様な色々な種類のスポーツを体験することを推奨することが、学校での役割であり、放課後は、学校とは独立した地域のコミュニティーによるスポーツのクラブ活動が、主体になるようである。従って、これが、今日の所謂、「アクティブ・スポーツ」の基礎概念になっているようである。そこには、何も、競技で、「一番にならなくて良いのです!」と言うゆるーいスポーツ精神が、根幹に在り、各個人個人が、スポーツを「愉しむこと」を、「親しむこと」を、中心に据えて、運営されているようである。確かに、映像を観ていると、スケートでも、何やら、氷上でストックを用いながら、スケートしていたり、スキーも、椅子に座って滑ったり、片脚をキックしながら、滑っているではないか?日本では、そんなことをしようものなら、即、強制退出の憂き目に遭うのが、せいぜいで、規則遵守が、何よりも大切にされ、大衆的な秩序最優先で、所謂、スポーツも、何人も、愉しもうとする精神的なゆとりが、全くない硬直した官僚主義そのもの以外の何ものでもない。スキーなどは、衰退している以上、客寄せの意味合いからも、年寄りが、椅子に座って、倒れないような椅子スキーとか、自転車のハンドルを持ったような自転車スキーも許可するような柔軟な体制が、必要ではないだろうか?年寄りには、絶対転ばないスキーとか、スケート用には、絶対に、滑って腰を打たないスケート器具とか、彼女と一緒に、滑れるスキー器具や、スケート器具が、あっても良さそうなモノであるが、、、、、、。何とも、成熟したスポーツ大国であろうか?日本も、いい加減に、オリンピック中心の挙国一致の競技スポーツ大国、或いは、メダル至上主義から、個々人中心の「アクティブ・スポーツ」大国へと変身しても良い時期にきているのではないでしょうか?どうも、オリンピック招致の運動には、政治的な胡散臭いものを感じて仕方ないのは、私だけの感慨なのでしょうか?