小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

まちづくりコンペ受賞作を見る:

 

まちづくりコンペ受賞作を見る:

 

元来、私の育った街は、戦後の闇市から発展した謂わば、焼け跡闇市的な雑然として、都市計画も、地権者が入り乱れたせいだろうか、整然とはせずに、何とはなしに、発展(?)してわけである。自分は、文系のせいもあり、都市工学とか、都市デザイン、等には、全く、無縁な無知蒙昧も良い門外漢を自認する存在であった。セミ・リターヤーを契機に、色々な人々とのお付き合いを通じて、まちづくりの手法を色々と勉強できる機会を得たことは、その意味では、誠に、有意義であった。金賞受賞作品を含めて、佳作や10数点のコンペ受賞作品が、写真やデザインや航空写真等を駆使して、ビジュアル的にも、理解しやすいように、そのコンセプトとともに、ディスプレイされていた。成る程、都市というものは、一種の生命体のようなもので、ヒト・モノ・カネ・情報の流れではないが、車やバスや自転車などの流れとも、おおいに、密接に関係していることが、改めて、了解される。そこには、商店街のそっくりそのままのレンタル方式による再生化、アートや音楽、ガーデン・グリーンや遊び場を、或いは、保育園やショッピング街や更には、高層住宅なども含めた有機的な小川の流れる木の生い茂る、小鳥も来るような広場の概念とか、まちづくりの視角とはこういうことなんだなぁと、素人なりに、理解出来る。子供の頃あった、駅の南北を分断していた中央線の開かずの踏切も、単純に、地下歩道を作れば良いってモノではなくて、成る程、高層化して、ドームではないが、空中庭園化、広場化することも、夢ではないことが、そのコンセプトのビジュアル化で、納得する。様々なヒトの流の流入が、まるで、血液の流のように、八方から、入っては出て行き、流れて行くことが、改めて、理解される。少子高齢化を踏まえて、多世代交流の場が創出されることを目指したり、幼児・子供や若い人から、お年寄りまでもが、駅を中心にして、再び、単なる箱物では無くて、しっかりした100年のグランド・デザインやコンセプトをもって、描かれているように思う。むろん、防災・減災の機能や省エネ・自然エネルギー、福祉・介護・保育なども、反映されていて、改めて、都市計画、都市工学、都市デザインとは、何かということを、朧気ながらも理解出来たような気がしたことは、少し、心が愉しく感じられましたね。

 

大学や建設会社だけではなくて、こういうことは、それこそ、小学校や中学・高校でも、夢のまちづくりの一環として、教育課程にも、取り入れられて然るべきではないだろうか?いや、知らないだけで、既に、取り入れられているのかも知れないが、、、、、、。