小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

○○障害という言葉の響き:

○○障害という言葉の響き:

どうやら、又、精神障害の範疇で、新しい言葉が、生まれてきたようである。何でも、社会生活の中で、最近では、人前での発言がうまく出来なくなったり、他人から、上司や、同僚から、どう見られているのかとか、眼に見えないプレッシャーを極度に恐れ、不安になり精神的に、落ち込んで、社会生活に支障をきたす「病気」(?)を称して、「社交障害」と精神科医は、そう呼ぶそうである。フェロトニンという物質が、欠乏するのが原因(?)(それとも、結果?)であると、まことしやかに、説明していたが、本当に、それが、原因なのであろうか?或いは、パワー・ポイントによるプレゼンの機会が、多くなったので、、、、、とか、それでは、ついこの間までは、人前で、発表する機会や、意見表明する場が、なかったのであろうか?最近では、何でもかんでも、○○が不足しているので、とか、(ビタミン程度なら良いが、妻への愛情とか、思いやりとか、云われると、頭を悩ましてしまうが)確かに、それが、先天的な遺伝子の欠損とかによるものであれば、そうなのかも知れないが、すべて、これ式に、云われてしまうと、本当にそうなのかとも、疑問を呈してしまう。昔は、「五月病」では無いが、結構、頻繁に、「病気」と言う言葉が、使われていたような気がするが、今日では、科学的に、或いは、差別のないように配慮する、耳障りの良い言葉に、○○ブルーとか、○○症候群とか、○○障害とか、その本質が隠されてしまい、分かりにくくなるような言葉の使い方が、多いような気がしてならない。大体、この年頃になって初めて、成る程、自分も、○○障害だったのかなぁと、思われる節が、無きにしも非ずではなかろうか?そんな錯覚にも陥りかねない程の状況ではないだろうか?こうなると、まともな人間も、どこか障害や不具合が潜んでいるのではないか、むしろ、「そうならない方こそが、どこかに問題があるのではないか?」と発想が逆転してしまいそうである。なぜなら、「こうならないようには、こうしたら良いですよ」ということが、決して、語られることはないですからです。答を知りたい人は、続きは、「○○で検索!」とか、なってしまうのでしょうか?元気に、野原を飛び回っている子供を見たら、あの子は、どこか、おかしいと、思ってしまう時代の方が、どこか、おかしいし、そういう時代にはしたくないですね!。