小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

ハンセン病患者隔離政策の反省と追悼

ハンセン病患者隔離政策の反省と追悼
6月22日は、ハンセン病患者の隔離政策で亡くなられた人々の追悼と反省を記念する日であるそうである。高齢化している患者達は、その隔離政策の為に、故郷を追われて、未だに、戻れずにいるそうである。無知からの不当な差別を、考えるときに、想い出すのが、米国駐在から帰国する年、1988年に、ワシントンDCで、行われたエイズ患者差別に抗議するデモに遭遇したときのことである。たまたま、滞在していたホテルで、リボンを結んだデモ参加者の同性愛者達が、エレベーターに、乗り合わせてきて、狭いエレベーターの空間の中に、閉じ込められてしまった。当時は、警官ですら、ゴム手袋をしたり、参加者達は、謂われのない偏見と差別に、或いは、好奇の目に、晒されながらしていたが、当時では、空気感染の疑いもあるとかで、私達は、「真面目」に、エレベーターの中で、まさに、息を潜めて耐えて乗っていたものである。今にして思えば、実に、馬鹿馬鹿しい出来事ではあるが、、、、、、、。問題の本質というモノが、解明されないときには、「偏見と差別」とが、ハンセン病も、水俣病も、更には、今日的な課題である放射能の問題も含めて、罷り通ることは、未だに、変わりがないと言っても過言ではない。我々は、そんな情報への有り余る程のアクセスが可能な時代に、どのようにして、一人一人が、不当な偏見と差別に、立ち向かう武器を有することが、出来るのであろうか、、、、、、。又しても、紋切り型の「お詫びと反省」という言葉が、のし掛かってくる。