小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

NHK スペシャル、草間彌生ワールド

NHK スペシャル、草間彌生ワールド

83歳になる松本出身のこの老アーティストの精神と肉体の何処に、そんな世界へ進出する原動力があるのであろうか?8月の末に、山の神と一緒に、松本市美術館での展示をみたことは、以前、ブログにも書いてみたが、この番組を改めて視ると、又、その「想像力と創造性」に、改めて、驚かされる。確かに、若い頃の記憶を辿れば、60年代後半のベトナム反戦運動時代に、NYで、全裸の男女グループが、身体にペイントを施して、路上を疾駆したことをメディアが、報じていたことを、覚えているが、その時は、そんなパフォーマンスが、アートと呼べるのかと、思っていたことも、同時に、覚えている。芸術家というモノは、どうやら、世間やメディアの批判等に、晒されても、これに、断固として、抗して、その世界観を確立して初めて、芸術家としての価値を確立するモノなのだろうか?伝統的な日本画の写実を捨てて、故国も捨て、単身、50年代後半のNYに、28歳で、単身、乗り込み、精神病とも闘いながら、独自の「水玉」に、思想性と魂を注ぎ込み、心の中にある思いを筆に託して、今や、世界7大大陸での巡回展示会開催、100枚にも及ぶ連作画を新たに、制作し、世界的な著名ブランドとのコラボレーション、(4大陸、世界的に高級な450店舗での商品コラボの販売、数千万円もするというバッグとか、)「自ら」をも「アート化」、或いは、「キャラクター化」してしまう、「精神性の売り込み」には、驚くとしかいいようがない。彼女の言によれば、そこには、愛と死、宇宙、平和、それらのシンボルとしての「水玉」の反復・増殖を、活き付かせようとしていると、、、、、、、。今でも、描けば描くほどに、新しい水玉のイメージが、湧きだしてくると、、、、、、。死ぬまで、描いて描いて、描きまくって、死ぬと、公言して憚らない。NYでの成功の後、失意の内に、16年ぶりに、帰国するも、46歳で、入院して以来、アトリエと病院を往き来しつつ、新たに、集大成である自らの作品展示美術館を建設するために、本当に、自分が好きな選りすぐりの作品だけは、絶対に、売らずに、自分の手に、残しているという。新宿に、完成した暁には、是非、一度は、観てみたいものである。それにしても、この孤高の老芸術家の才能を、何故、日本という国は、初めに、評価できずに、いつも、いつも、世界での評価があって初めて、認められるようなところがあるが、、、、、、。いつになったら、自らのよいところを、正当に、評価出来るようになるのであろうか?どうもこの国は、一度、外から、離れて眺めないと、自分を正当に評価出来ないのかも知れない。一日一枚、早ければ、三日に一枚のペースで、新しい絵を描き上げるらしいが、残された時間には限りがあり、その中で、どんな作品が、生まれてくるのか、又、それが、どのように、評価されるのか、楽しみである。もっとも、絵を観て、題名が、きちんと、当てられる人がいたら、大したモノであると思う。「芸術の価値」とは、何であろうか?たかが、「水玉」、されど、「水玉」、だから、「水玉」なのだろうか、、、、、、、。今や世界を席巻している「かわいい」、「アニメのコスプレ」、「オタク文化」等も、普遍性があるのであろうか?それとも、只、日本人は、それに気が付かないだけなのであろうか?これは、また、別に、考えてみたいが、、、、、、。