小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

古田織部展を覗く:

古田織部展を覗く:

東京という大都会は、確かに、美術展示会を観覧するには、便利なところである。中小の地方都市では、余程の文化や芸術、美術に関心を払っている都市は別にして、なかなか、思うようにゆかず、難しいものである。銀座松屋で、年末から19日まで、開催されている、「古田織部展」を覗いてみることにした。ウィーク・デイの昼過ぎだから、茶道や生け花の関係のお年寄りのご婦人方が多いのは当然のことなのであろう。こちらは、特別、茶道や生け花に精通をしているわけではないが、焼き物・陶器を眺めるのは、おおいに、興味深く、とりわけ、海外文化との影響を受けて、独自の日本文化を反映させてきた織部焼きは、只単に、茶道具というだけの範疇では、括れない何か、日本人の潜在的な能力をこの没後400年の武人茶人に見いだせそうである。桃山・慶長文化の中で、開花した様々な陶器にしても、それ以前の時代には、神仏に捧げられた供物や食物などを白木製の謂わば、その時・場限りの今で謂う、ディスポーザルな感じで、処分されてしまっていたものを、この時代、陶器で、再現したようなものであるそうである。その意味で、茶会での釜・水指・竹茶杓・茶入・茶碗・猪口・向付(皿)・花生・蓋物・振出(薬味や調味料、菓子などをいれたもの)等、今日の様々な食器や、或いは、酒器、会席料理にも影響したと謂われている器(食器・酒器・皿・徳利)、猪口、今日的に謂えば、ぐい飲み盃のような酒器セットにも、大きな影響を及ぼしている。デザインに於けるデフォルメされたような三角や四角、三日月型や扇型や、手付け鉢、その歪みや斬新な幾何学紋様、漆黒を基調にした白と黒のコントラストの美意識感覚とか、内面と外面とにみられる自然の水辺の景観とか、渦の模様とか、当時の絵画からの影響も見られるような斬新な、変化に富み、優れた意匠が多いようである。没後400年でも、現代風なデザインの勉強には、おおいに役立つのかも知れない。私は、陶器の産地や、様式には、門外漢ではあるが、流石に、織部の果たした、美濃焼薩摩焼・上野(あがの)焼・唐津焼信楽焼・高取焼・備前焼・伊賀焼等、各地の窯元とのアドバイザー的な役割も、今日的には、興味深い。元々は、荒木村重の謀反の折には、中川清秀の調略の勲功や、山﨑の闘い、賤ヶ岳の戦いでも武功を上げているところからすれば、やはり、千利休の自刃以後は、茶の湯を通じて、政治の中枢世界で、それなりの裏交渉や、政治的な人脈を築いてきたことが、推測されようが、やはり、利休にとっての秀吉同様に、織部の徳川家に対する関係性(二人の自刃という形での死そのものを考えると、それ)も、所詮は、文化の庇護者と支配者という関係性からは、逃れられない宿命を背負っていたのかも知れない。それにしても、当時の作品を眺めて、その時代に生きた人々や作者や所有者の息遣いを感じたり、想像したりすることは、とても、楽しい事ではないでだろうか?最後に、庭園や数寄屋作りというものも、路地という概念も、茶室作りや、部屋廻りから、歴史的に、来ているのかと、或いは、床の間を飾る生け花の花瓶というものも、そういうものなのかと、改めて、日常生活の中で、花瓶を見直してみたり、庭をみる目も変わってくることなのかも知れない。とりわけ、最近では、花瓶というものは、花を飾るという意味合いで、平地に、置くというイメージを持っているが、この時代には、壁に掛ける竹篭や、空間や空中に飾るという様式もみられることに、改めて、新鮮さを感じざるを得ない。黒織部も良し、蓋物も良し、デフォルメされた意図的な斬新な紋様も、或いは、きず物や割れ物にすらも、新たな美意識を見いだすという感覚も、おおいに、宜しいし、素晴らしいものである。個人的には、小さな「香合」と呼ばれる美濃焼には、色使いといい、斬新なデザイン性といい、或いは、フォルムといい、なかなか、小さいながらも、作者の想いが、凝縮されているように思えて、好きな焼き物である。百円ショップで、簡易な安い商品を使用するのも、決して、否定するモノではないが、やはり、日常生活の中でも、食に関わる、或いは、酒を嗜むときには、お茶を飲むときにも、茶碗や、器にも、何か、美的感覚を子供の頃から、培い、休みの日には、花を活けたり、或いは、テーブル・マットを敷いたりして、楽しみたいものである。茶碗というものは、上からだけみるものではなくて、やはり、底部までも含めて、本当は、自分の手にとって、下からも眺めたいものであるが、旧い美術品ではそういうわけにもゆかないのが、残念なところである。一階下の7階では、美濃焼のラーメンどんぶりの展示会も開催されていたが、これも、なかなか、力作揃いで、しかも、世界に打って出るには、こうした丼のデザイン性も必要不可欠かも知れない。ラーメン屋には行ったら、丼の器も様々なデザインを選べるようであると、面白いかも知れない。庭先の梅の枝も一寸、カットして、箸置きにでもして、今晩は、日本酒をお気に入りのお猪口で、戴くことにするか?又、新しい理由付けと絶好の良い言い訳がつけられて宜しいかも知れない、、、、、、。