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小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

高橋まゆみ人形館にゆく;

高橋まゆみ人形館にゆく;

飯山は、これまで、いつも、素通りしていたが、たまたま、戸狩温泉スキー場の民宿に行く途中で、初めて、高橋まゆみ人形博物館に、立ち寄ってみることにした。勝手に、年寄りの人形ばかりだから、その作者も又、年寄りだろうとくらいに、タカをくくっていたら、存外、作者は、若い作者であったこととに、少々、自分の不明を恥じ入ると共に、拍子抜けしてしまった。それにしても、紙粘土で、様々な情感を、とりわけ、老夫婦の関係性や、老母と娘の関係性、或いは、お爺さんと男子の孫や、チンドン屋や、寅さんや、お瞽女の集団や、兎に角、今や、化石と化してしまっているような『関係性と情景』が、小さな粘土細工の人形の中に、見事に、表されている。その表情の、或いは、その仕草だけでなくて、その皺の一筋一筋までもが、見事なまでに、表現されていることに、驚かされる。これは、もう、言葉自体が、必要では無い、只単に、国を超えて、民族を超えて、この芸術的な作品を観るだけの価値は、おおいにありそうである。魚釣りを一緒に、愉しむ情景、看護で、たまたまうたた寝をしてしまった娘を気遣う老婆の手のぬくもり、もう恐らく、80歳をゆうに超えてしまった老夫婦の愛情溢れる情景と仕草など、よくも、こんな情景を、その瞬間、瞬間を、見事に、切り取って、作品に、凝縮・昇華させてしまう技術力は、全く、驚くべきものがある。情景とか、仕草とかというものは、成る程、その一瞬を切り取ってみると、写真撮影とも繋がるような共通点があるのかも知れない。なんだか、既に亡くなってしまった両親や祖父母のことを、遠い昔の記憶の片隅を、想い起こすようで、なかなか、興味深い作品の数々である。又、新幹線から、外れてしまった寺町の佇まいも、今回は、ゆっくり観ることが叶わなかったが、こちらも、面白そうである。真っ赤な郵便ポストが、時間を超えるかの如く、銀座の柳の二世の下で、佇立していた。映画、『阿弥陀堂便り』のロケ地巡りと併せて、飯山という所も、小布施とは又、一味違った趣があるように思われる。次は、いつも、やはり、素通りしている須坂の藏街をゆっくりと、散歩でもしてみたいところである。