小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

76歳にしての重い選択:

76歳にしての重い選択:

最近では、ボランティアの活動に時間を費やされていて、とんと、政治的な問題に対して、ブログでコメントする機会がなくなってしまった。そんなこんなで、参議院選挙の結果にも、まぁ、そんなところかなと云う程度にしか、日本人の民意とは、こんなモノなのかという印象を持っていたところへ、究極の後出しジャンケンではないが、熟慮に、熟慮を重ねたのであろうか、鳥越俊太郎氏が、野党統一候補として、名乗りを上げたところ、一斉に、野党側は、もっけの幸いとばかりに、これを担ぎ上げてしまった。方や、官僚出身の手堅い候補者や、政界の渡り鳥という異名を有するやはり、ニュースキャスター出身の先出しジャンケンに掛けた、反自民票を狙った棒女性候補も、これでは、全くの形無しであろうか?結局ここまでの政党の側での人選をみていると、本当に、人材が不足しているのではなくて、既に、枯渇しているような有様を呈しているのは否定できない現実であろうか?今回の参議院選挙での若者の投票率を分析したコメントを読んでも、本当に、危機意識を持って、投票したければ、自ら、住民票を取り寄せてでも、投票所に行って、一票を投じるそのくらいの気概がなければ、こんな上からの『与えられた18歳選挙権』などは、糞食らえとばかりに、主張しても良さそうなモノであるが、、、、、、。考えてみれば、自分が18歳の時には、選挙や、ましてや、政治参加などの声は、ベトナム反戦運動の中で、教室で、勉強や受験勉強をしていて、果たして、良いのであろうかなどと、肌身に滲みて、感じたものであるが、如何せん、今や、老人層しか、そういた危機意識を感じるものが少なくなってしまっているのであろうか?誠に、76歳にしての決断、とりわけ、癌の手術を経て、健康を取り戻したとは云いながらも、失礼だが、年齢だけから、判断すれば、この老人の決断は、如何にも、重いし、老人というモノも、まだまだ、捨てたモノではないなと思う次第である。総評もなくなり、農協も力を失い、年金暮らしの年寄りも、まだ、これからは、死ぬまでに、一働きも、二働きも、若者に負けじとばかり、大きな流れに逆らって、逆流を巻き起こせるかも知れないかな。テレビ朝日やTBSから、或いは、ジャーナリストからの政界への転身を、今回、幾人かにみていると、やはり、マスコミに対する何らかの眼に見えない権力の風圧が、徐々に、空気を読めよ!という風潮が蔓延してきて、一億、総茹でガエル化しつつあるのかも知れない。実務家を無難に選択しようとする構図と今度は、対局の構図との闘いに、無機質的なものから、何か、どろどろした情念の闘いの場に、引きずり出されたような構図に移ってきたようである。果たして、不信と混乱の中で、都民の選択は、どちらを、選択することになるのであろうか?