小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

あがた森魚、『清怨夜曲』を聴く:

あがた森魚、『清怨夜曲』を聴く:

1948年、小樽の生まれらしい。同い年である。しかも、この曲が、納められている『乙女の儚夢(ろまん)』というアルバムに納められている『清怨夜曲』や、『赤色エレジー』は、丁度、私が、社会へ出た1972年LP盤でリリースのようである。謂わば、同じ頃に、生まれ、育ち、同じように、社会へ出て、そして、その音楽を、改めて、青春時代から、40余年も経た今日、耳を傾けたものである。それにしても、歌手とは、自分の追い求める理想とする音楽を、或いは、その表現したいと思うサウンドを、その楽曲とその歌詞とに載せて、長い間、歌い続けられるものであることに、改めて、驚いてしまう。まるで、大正ロマン期から、昭和初期の恐慌と、そして、それから、始まるであろう長い戦争への暗い途への序章を、ある種、独特の聞いたことのない、或いは、母の胎内で聞いたのではなかろうかと思われるメロディーと歌詞に、載せて、歌いあげたものである。何とも、今日のテロの恐怖と、貧富の格差とに蔽われたただ、漠然とした不安と未来への不透明さの中で、改めて、この楽曲を聴いてみると、実に、色々なものが透けて見えてきそうである。もの悲しいバイオリンの響き、太鼓の音、そして、タンゴのメロディーと一緒に、聞こえてくるアコーディオンの音色は、叙情詩のようにも、聞こえてくるようである。『幸子の幸は、何処にある』、『愛は、愛とて何になる』、そして、『清怨夜曲』の中の一節にある、『何もかも、こわれてしまえ』、『もう明日なんて怖くない』、『だから踊ろう、僕と一緒に』、『君は仕合わせに眠くなれ』、そして、又、再び、『だから踊ろう、僕と一緒に』、『君は仕合わせに眠くなれ』と、浅草六区で、幼い子供の頃聞き覚えのある、大道芸人の呼び声も、見覚えのある奇妙な見世物小屋の風景も、朽ち果てた古びた修道院のキリスト像も、水玉模様の雨傘も、女の友情も、神谷バー電気ブランも、冬のサナトリウムも、ハートのクィーンも、裸電球も、舞踏会も、郭街も、皆、その為の舞台道具なのか、まるで、『踊りし日々は、走馬燈』のように移りゆき、体験したことはないが、何処かで、その感覚だけを覚えているようなメロディーだけが、心の底に、響いて聞こえてくる。よくも、40余年経っても、聴くに耐えるだけの何かが、そこにはあろうか?なかなか、ジャケットも、面白いのは、どうしたものであろうか?