小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

縄文文化に想いを馳せると:

縄文文化に想いを馳せると:

古代文明というものは、余りに、時間が悠久としすぎていて、ほとんど、浪漫に近い感慨であろうか?教科書では、如何にも、縄文土器の紋様が、人間性の自由さと想像力の豊かさの象徴であるとか、狩猟採取集団として、農工を始める以前の定住生活には、至らないとか、様々な世界文明と比較して、その違いと共通性を、これまで、語られてきたようであるが、どうやら、三内丸山遺跡での20年以上に亘る発掘調査の結果、これまでの定説や常識を全く覆すような発見が、され始めているようである。そもそも、何故、そんなに、1万年にも及ぶような長い期間、しかも、雪国の北の果てで、今日の常識をもってしても、驚くべき大規模な定住社会が、発生し、存続し得たのかという疑問は、所詮、100年も生きることが出来ない現代人には、一万年といわれても、全く、気の遠くなるような時間である。そもそも、栗の樹が、まるで、果樹園のように、種から、苗を作り、それを計画的に、植林して、採取したり、或いは、縄文土器を使用して、煮炊きに使用したりすることで、食用となる食物が、飛躍的に、充実・拡大したとか、人口的な工作物や建築物も、あんなに、巨大なものを一体、何人の人を使用して、建てたのであろうか?そうした技術的なノウ・ハウは、如何にして、修得され、どのようにして、伝承・継承されたのであろうか?言葉や文字は、コミュニケーション方法は、マニュアルは?どんぐりの渋抜きや栗の実をどのようにして、調理して、食べたのであろうか?明らかに、魚の脂や獣の脂質が、土器にこびり付いているところから解析すると、想像以上に、豊かな食事を愉しみ、栄養バランスが良かったのかも知れない。ひょっとすると、現代のカロリー・コントロールや拒食症による栄養失調などとは比べものにならない、豊かな安心・安全な食生活だったのかも知れない。それにしても、アミニズムの影響なのかどうかは、定かではないが、土器野土偶への紋様や服装飾への表現というものも、当時の人達の方が、芸術的なセンスが、一枚も、二枚も、上だったのではないかとも、類推さえしてしまう。何事も、現代へと進化するという「進化論的文明論」では、推し量ることの出来ない何ものかが、この長い縄文文化というものには、存在しているのかも知れない。そんな共生共存、或いは、計画的な天然資源の再生可能な、永続的な仕組みをそもそも、その生活の中に、根底的に、そうした哲学を、自然の中から、学んで、有していたからこそ、1万年もの長い間、維持・継続出来たのかも知れない。そう考えると、現代の我々は、何とも、傲慢な哲学と自然破壊の哲学しか、有していないのかも知れない。まだ、土偶の評価というものは、実は、定説が固まっていないということも、大変、興味深いことである。歴史の闇から消し去られてしまったマヤ文明の文字が、解明されるようになるまで、時間が掛かったように、縄文文化の価値というものも、まだ、これから、何十年もの間に、新たな発見と研究がなされなければ、定説として、定着はしないのかも知れない。ひょっとして、栗菓子を食べるときには、或いは、どんぐりの実を拾い上げるときに、更には、ワラビやゼンマイやコゴミを食するときには、古代人のことを想い出さなければいけないのかも知れないし、古代にも、昆布や魚で、出汁を取って食事をしていたのかもしれないと想像するだけでも、面白くなるし、現代人は、何事も、古代は、未発展・進化過程であったと考えるこうした傲慢な歴史史観は、捨て去らなければならないのかも知れない。それでも、当時の人は、ストレスがあったのであろうか?縄文文化に、想いを馳せると、一体、我々、現代人には、何が見えてきて、或いは、何が見えてこないのであろうか?