小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

本田の新たな挑戦:

本田の新たな挑戦:

といっても、車のホンダの自動運転への挑戦ではない。サッカーのACミランの本田選手が、なにやら、チーム批判だけではなくて、今後の身の振り方も考えてなのかはどうかは分からないが、少年チームや海外の地方リーグのオーナーになって、「自分のサッカー哲学」を実践してみようとしているらしい。それも、国境や国籍を超越して、自分の理想とするサッカー哲学を、選手育成も含めて、ハードとソフトの両面から、実現しようと試行錯誤の末に、辿り着いた結論らしい。おおいに、この若者の目指すところに、関心を払わなければならないかも知れない。ひょっとしたら、新たなサッカー界に於ける地域サポーターシステムとは、異なる視点での新たなサッカー・ビジネス・モデルの創出になるのかも知れない。企業や団体や地方による一種のサッカーのパトロン・システムとは、根本的に、異なる本田選手らしい夢の実現なのかも知れない。選手であればこそ、或いは、競技を実際に体験したものだからこそ、与えられた監督業やコーチ業では無くて、オーナーとして、新たなサッカー・チームの経営モデルを、国際的に、創ってみようと思ったのかも知れない。しかも、それは、ラグビーではないが、国籍条項をも、ある種、超越するかのような一種のスポーツの有する普遍的な人種差別や貧富の差がない、誰でもが、等しく、その強い意思さえがあれば、成功への平等な機会を当たられうるようなプラット・フォーム作りなのかも知れない。一体、どれ程の私的な財産の提供やスポンサーの協力があるのかは、定かではないが、日本の若者が、こうしたこれまでのキャリアーと人生を懸けての挑戦は、羨ましいものである。プロ・テニスの英才教育や、人材育成システムとは、異なる、しかしながら、しっかりと、彼のことであるから、将来的な経営採算計画は、初めから、想定されているように、思われるが、こうした挑戦が、成功することを願ってやまないものである。子供の貧困の格差とか、教育の格差とか、スポーツの世界ですらも、同様な厄介な問題が、今や、顕在化しつつあるのが現実である。その意味からしても、本田により新たな挑戦は、なかなか、興味深いし、只単なる反骨のヤンチャな選手だけではなさそうであることは、実に、面白いではないだろうか?