小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

BSフォークを聴く:

BSフォークを聴く:

フォーク歌手というものの登場は、それまでのプロの演歌歌手や叩き上げの作曲家・作詞家の牙城を一夜にして、素人に等しい歌手が、ボブ・ディランやジョーン・バエズの反戦歌手の哲学に影響されて、奪い去ってしまった感じが今でも、拭い切れない。言い換えれば、歌のうまさ、声の良さとか、テクニックとかではなくて、歌手の有する「世界観・哲学観」に、感動しさえすれば、それらは、少々、音程が狂っていても、声が裏返っていたり、かすれていたりしても、全く、問題ではなく、逆に、それらが、一種の差別化にも相俟って、既存の商品価値とは別の次元での異質な価値を高めることになっていたのかも知れない。それは、既存のエスタブリッシュメントに対する時には、反抗にも映るし、その容姿の決して、美しいとは云えないものでも、その恰好が、ブサイクでも、只、ギターを抱えて、つま弾くだけで、その「独自の歌の世界観」へと、引き込まれてしまうのである。その意味で、出演した往年のフォーク歌手、とりわけ、「あがた森魚」などは、同い年のせいだろうか、40数余年の時間の経過は、その歌い手である歌手のみならず、聴く側の我々、聴衆側にも、等しく、差別することなく、髪を薄くさせ、そして、少々、ふくよかさを増したような感じがしなくもない。しかしながら、ひとたび、その「淸怨夜曲」(1972年)や「赤色エレジー」を、歌い出すや否や、その瞬間から、瞬く間に、不思議な異次元の空間へとまるで、ワープしたみたいな感覚に、落とし込められてしまう。今日、一体、あの幸子と一郎は、どうなってしまったのであろうか?あの「幸子の幸」は、何処へ、云ってしまったのであろうか?二人は、今、どうしているのであろうかと、現在の年老いた自分に置き換えて、想像してしまう。少し前の1969年頃の浅川マキの「かもめ」や「夜が明けたら」も、寺山修司の作詞の影響からか、やはり、はっきりとした「世界観」が、表現されていて、亡くなってしまったことが、おおいに、悼まれる。りりィの「私は泣いています」(1974年)ベッドの上で、などは、ほとんど、ハスキーと云うよりも、まるで、酒の飲み過ぎ(?)で、声がかすれていてしまったようでいて、おおいに、宜しいではないか!それにしても、1968年の岡林信康の「山谷ブルース」とか、歌は、時代を反映するとか、云われているが、ほとんど、あがた森魚のメロディーも、世界観も含めて、辛うじて、化石同然で、生き延びているようであるが、どっこい、改めて、当時のフォークの曲を聴いてみると、何か、強い、心の底で、共感するものが、沸々と沸いてくるのは、何とも、不思議である。今の若い人には、どんな風な歌に、聞こえるのであろうか?一度、尋ねてみたいような気がする。