小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

妖怪ウォッチから透けて見える子供のこころと日本人:

妖怪ウォッチから透けて見える子供のこころと日本人:

テレビのCMを観ていても、何故、可笑しな体操をしているのかとか、小さな子供達が、ブツブツ、「ゲラゲラポー♪」、(実際、残念乍ら、私の耳には、ゲロゲロフォーと聞こえたが、、、、)と呟きながら、歩いているのも、我が家には、小さな子供が居ないから、全く、何の事やら、了解出来なかったが、年末から、年始に掛けてのテレビの番組を視ていて、成る程、これが、例の今流行の「妖怪ウォッチ」なのかと気が付きました。もっとも、映画やテレビを詳しく観ていないから、さっぱり、何のことやら、分かりませんが、たかつ・ゆうすけという人の成熟社会を生きる、弱さと強さ、異質なもの、受け容れる心という、コラムを興味深く、読ませてもらいました。妖怪なる存在は、その昔には、水木しげるによるものが、流行りましたが、謂わば、妖怪なる物は、お化けと違って、おおいに、子供達とは、どういう訳か、仲良しになり、更に云えば、友人や友情関係が構築されるものらしい。謂わば、西洋的な絶対的な神なる一神教では、到底理解不能な日本的なアニミズムの影響なのかどうかは分からぬが、神と対峙する悪魔ではなく、或いは、絶対悪として、人間と戦うのではなく、何か、人間味溢れる、どこかで、日本的な折り合いをつけるというか、落としどころを探るような存在なのかも知れません。高度成長期での妖怪の位置づけは、今や、バブルの崩壊も経験し、更には、不可思議な大自然の神がかった力を痛感させられた東日本大震災以降、トナリのととろも、座敷童も、皆、他人との関係性の中で、氷のように、溶けてしまうことで、逆に、人間関係を再認識したり、構築するきっかけになるそういう存在なのかも知れないと、、、、。更に云えば、農耕民族に特有な、同時期に、一斉に、一緒に田植えや稲刈りをするという「同調性」や、「協調性」、「空気を読む」、「自粛」、「自主規制」、「絆」、等…、今や、「同調圧力」というものが、異質なものや、自分と違うもの、「多様性」に対する「虐めや差別や排外主義」という形で、子供達にも、影響が及んできているのかも知れません。だからこそ、子供達は、心の底から、妖怪に対して、恐れではなく、親近感とある種の本当の「心の理解者」として、受容しているのかも知れません。子供にとって、そういう「良き理解者」という存在そのものが、家庭内や学校、地域社会に今や、存在しないことを物語っているのかも知れません。考えてみれば、妖怪の範疇ではありませんが、ドラえもん鉄腕アトムのような存在、ヒーロー・ロボットものも、みんな、子供達の悩みを一緒に、共有・共感・解決してくれるある種の理解者・仲間であり、触れあいを楽しむ存在であったのかも知れません。そうなるとすれば、一体、「進撃の巨人」というものは、20代-30代にとっては、どんな位置づけになるのでしょうか?妖怪も含めたサブカルチャー論から、或いは、妖怪とふれ合う子供達の姿から、実は、「日本人の大人」の世界が透けて見えてきそうな気がしてなりませんが、、、、、。これを本格的に、論じるには、妖怪ウォッチも進撃の巨人も、詳しく、観ないことには、分からないでしょうが、、、、、、どうしたものか?全く、困ってしまいます。若い人の中で、一刀両断的に、バッサリと、論じてくれる人はいないでしょうか?