小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

ガールズ・ポップス最前線に思う:

ガールズ・ポップス最前線に思う:

午前零時過ぎでは、流石に、眠いので、録画をとることにして、観ることにした。それにしても、ごく僅かのグループしか、名前も知らないし、ましてや、構成メンバーの名前や履歴などは、知るよしもない。競争が激しいものである。一体、このうちから、メジャー・デビューをしていても、何組が、今後、生き残る事ができるのであろうか?そして、それを応援するファンも、どれ程の人数が、いつまで、これから、後を追い続けるのであろうか?ミュージシャンやパーフォーマーと云うよりも、況んや、アーティストと呼べる代物は、この中には、何組・何人いるのであろうか?それでも、観る側、応援する側は、自分の夢や希望や自己実現を、如何にも、その客体の中に、自己投影した形で、仮想世界を作り上げ、その瞬間には、現世の悩みや抑圧を忘却できるのであろうか?昔から、女性アイドルの追っかけはいたが、彼らも、女性アイドルと同様に、同じ時間を重ねて、年をとっていったはずである。AKB48の亜流といってしまえば、それまでかも知れないが、その亜流の内容は、一言では言い尽くせないものがあろう。それ程、色々なカテゴリーの差別化を考え出したものである。もっとも、プロの演歌歌手と異なり、少なくとも、プロのアーティストという感じは微塵もみられない、年若いという意味ではない、謂わば、未完の小さな器、大器とは、言いがたいのが本音ではないだろうか、だからこそ、そこに、無類の近しさや親近感が、一寸、手を伸ばせば、手が届きそうな距離に、実際には、決して、手が届くことは無いのであるが、それは、CDでも、購入すれば、握手が出来るという錯覚以外の何ものでもないのであろうが、、、、、謂わば、自己投影された虚像の自分に、客体たるアイドルを何とか、育成したいという感慨が湧くのかも知れない。秋葉原という場所は、そういう空間で、エンターテイメントという虚構の空間の中で、本当に、彼らの唄は世界を救えるのであろうか?それは、丁度、一流ではないものだからこそ、自分で、育て上げられるという錯覚に陥りがちなのであろうか?それでも、今日、この傾向は、現代の一つのリーディング・カルチャーと云うものなのであろう。吉本隆明の「ハイイメージ論」を読みながら、この特集を観ていると、複雑な感慨を有する。アニメやゲームやダンス等、我々の世代には、良く理解不能であるものの、地下アイドルも含めて、インディー・グループや地方のガールズ・ポップス・アイドルを応援する観客の未知のエネルギーは、一体どのように、理解したら良いのであろう?虚業とは、一言では、かたづけられないような気がする。このエネルギーは、どこから来て、今後、何処へ向かうのであろうか?