小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

広島土石流災害に思う:

広島土石流災害に思う:

それにしても、凄まじい程の集中豪雨である。1ヶ月の間に降る雨量が何と2-3時間程度で、降るのであるから、恐ろしい、しかも、真夜中、停電やその地質も相俟って、甚大な被害である。広島安佐南区と聞いて。どこかで、聞いたような名前だと記憶を辿って行けば、何と、学生時代の友人が、広島安佐北区に住んでいることを想い出した。早速、ショートメールで、連絡したら、「今、家の前の山が大事である。女房が避難準備をしている、、、、」と、どうやら、事は、緊急を要し、メールなどしている場合では無い状態である。考えてみれば、80ミリ程度の雨でもそんなに、滅多には、峠越えなども、交通止めの記憶は、それこそ、10年に1回程度であるとおもわれるが、200-300ミリ近い雨が1時間や数時間の間に、集中して激しい雷も伴って、しかも、真夜中に、停電のなか、集中的に、降ってきたら、どうしたらよいのであろうか?学者先生や防災専門家達が、したり顔で、土壌を分析するのは良いが、それでは、こんな火山国の山が険しく、平野が狭く、住むところが少ない日本で、何処に住んだら良いのであろうか?ハザードマップは、無いよりマシであろうが、マップ自体が、何の役にも立たない事を認識すべきであろう。予測も確かに、システムとして、あれば宜しいが、今回のような事例をみても、予測を遙かに上廻るような集中豪雨であることは確かである。所詮、気象庁や行政頼みではなく、自分の身は、自分の本能で、観て・聞いて・臭いを嗅いで、判断しないと、守れないのかも知れない。(もっとも、では、弱者はどうしたよいのかという問題はあろうが、)所詮は、こういう自然災害というものは、防ぎ切れるものではなさそうであることが改めて、認識されよう。たまたま、友人宅は、幸いにも、今回は、難を免れたけれども、一つ間違えれば、どうなっていたかは、分からぬものである。神戸・淡路大震災でも、身近な親戚が被災したり、東日本大震災でも、知り合いが被災したりと、いつ何時、災害に、自分が見舞われるかどうかは、皆目、分からないものである。何年か前に、東京でも、凄まじいゲリラ豪雨で、家の周辺が、50年かぶりに、浸水したことがあったが、いつのことやら、思い起こせない。まさに、「災害は、忘れた頃にやってくる」と云うが、改めて、その時に備えて、何をなすべきかを常日頃から、考えておかなければならないかも知れない。今晩からは、どの部屋に寝るか、部屋の何処に寝るかも考えなければいけない。被災された方々の一にも早い復興と、亡くなられた方のご冥福を祈りたいものである。