小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

鹿肉を食して思う:

鹿肉を食して思う:

何でも、ライフル銃は、散弾銃を10年以上、無事故、人格上・管理上も、問題なく、保持している人にしか、許可が下りないそうであるとその人は云っていた。年々、若い人が減っているそうである。それにしても、鹿、猪、山鳥、雉などを撃つらしい。もっとも、この人も、もう、今年からは、体力に自信が持てなくなり、暴発事故や、山中での怪我が心配だそうで、狩猟は諦めるそうである。昔、NZで、仕事の関係から、鹿肉の飼育場を見学したことがあるが、そこには、自然保護ではなくて、輸出産業としての鹿肉養殖と解体業者とが、共存していたものである。ここ、長野県では、そんな悠長なことを言っていられないほど、今や、鹿や猪による農産物の耕作被害が、甚大であるそうである。昔、愛犬と一緒に、山中を散歩していても、一寸した畑には、電気柵や網が仕切られているのを見かけたものである。鹿肉の薄いあぶり肉を食した後、帰り道で、何と、ライトに浮かび上がった鹿の群れと遭遇した。何とも、複雑な思いである。今し方、あんたの仲間の肉を戴きましたよ!ジビエも宜しいとは思うが、何とか、うまく、共存できるような仕組みは、出来ないものであろうか?どうも、奈良公園の鹿のイメージが強くて、何とも、「狩猟」というと何か、残酷なメメージがつきまとってしまうのは、どうしたものだろうか?やはり、農耕民族だからであろうか?どこかで、自然のバランスがうまくとれて、動植物の生命の大切さも、同時に、勉強できるような仕組みつくりが、必要では無かろうかと鹿肉を食べながら、思ってしまうのは、一寸、贅沢であろうか?肉の臭みを、スパイスで、消そうという努力が理解されるものの、ほのかな獣の臭いというか、味がするのは、これ又、何か、愉しい非日常の食事でもある。しかも、おいしい新酒の日本酒があれば、それに超したことは無いが、、、、、、。たまには、こういう経験も宜しいのではないだろうか?そう言えば、牡丹鍋も、ここ、何年間も、食べていないことをふと、思いだした。雉焼き丼等も、もっと、こうした肉が、身近なものになっても良さそうであるが、、、、、何でも鹿肉は、食用の可食歩留まりが、極めて、低いとのことであったことも、教えて貰った。そう言えば、昔、シカゴで、ライオンやヘラ鹿、熊肉を専門に食べさせる有名なレストランで、食事をしたことを想い出す。