小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

稀勢の里は、そんなに急いで横綱にならなくて良い:

 

稀勢の里は、そんなに急いで横綱にならなくて良い:

 

白鳳が、以前、横綱に推挙されるときに、優勝経験がなかったという理由で、推挙されなかったことがあるが、稀勢の里は、何も、急いで、駆け足で、その勢いだけで、駆け上がる必要は無い。毎場所、毎場所、いつも、肝心なときに、負けてばかりで、ファンの期待を大きく裏切り通しであるが、今場所も、格下に、2敗を喫し、又、同じ轍を踏むのかと思いきや、今場所に限り、その悪い期待を裏切るような形で、2横綱に勝ったことは、それなりの地力が、ついている証拠なのであろうか?もっとも、それも、千秋楽での取り組で、帳消しになるのか、ならないのか、又しても、違った意味での千秋楽での優勝とは関係無い大一番(?)であろう。相撲も、人生みたいなモノで、勢いで、時代の寵児になるものもいれば、廻り道をしながらも、自分なりの独自の相撲の型を、追求してもらいたいものである。もっとも、先場所は、綱取り失敗で、大いなる期待をしたにもかかわらず、夢叶わず、期待を大きく裏切り、期待を裏切った今場所の前半戦が、毎場所弱い終盤戦に、俄に、期待を再度、復活させるようなところは、何とも、毎場所、期待を良い意味でも、悪い意味でも裏切ってしまう力士である。もう、そんなに、急がなくても良いのではないだろうか?じっくり、苦労に苦労を重ねた上で、晴れて、優勝してからでも、宜しいのではないだろうか?再度、来場所に、叶うかどうか分からぬ期待をしたいところである。勝つことに、執着した日馬富士のような相撲が、横綱の品格に合致するのかどうかとは、別にして、勝負とは別のモノを、もっと、相撲には、期待したいところであろうか?もっとも、その身になってみないと、横綱という地位の責任の重さは、想像を絶するものであろう。千秋楽の結びの一番の優勝戦よりも、その手前の一番の方が、興味深いというのも、実に、皮肉なものである。