小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

愛犬の七五三と動物霊園に思う:

 

愛犬の七五三と動物霊園に思う:

 

何でも、最近では、神社での七五三詣でが、少子化の影響からなのか、激減する代わりに、愛犬の七五三のお参りが急増しているそうである。本当なのかと、まず、耳を疑ってしまう!神妙な顔つきをして、飼い主様は、我が愛犬とともに、お祓いと祈祷を受けるのであろうか?それとも、御犬様は、これ又、神妙な顔つきで、チョコンと横に鎮座ましまして、3歳、5歳、7歳、それぞれ、歳に応じて、着飾って、神社にお参りにゆくのであろうか?何とも、神社にとっては、有難い話であり、邪険に出来ることではない。むしろ、切実、且つ、死活問題であるのかも知れない。家族であると云う感情は、自分の経験からいっても、決して、分からぬものでもない。しかしながら、既に、余りに擬人化されてしまい、まるで、幼子のように、思われる感情には、一寸、何か違いませんかねという思いがつきまとう。我が老犬を18歳と4ヶ月で看取った経験からすれば、愛犬の死というモノは、必ずしも、全く、人間の死とは、異なるモノではないこと、人間の孤独死や、葬式費用も出せないために、その死体すらも遺棄してしまう今日、火葬や埋葬等、これまでのゴミ扱い的な死骸の処理では、確かに、飼い主の感情が納まらず、ペット霊園的な墓地が、必要とされるのも、頷けないことではない。しかしながら、人間様の墓地ですら、今日、墓地の管理料が、滞納されたり、高齢化に伴う相続人の廃嫡・断絶などにより、管理自身が、立ちゆかなくなりつつあるのも、これ又、現実であろう。してみると、一時的な飼い主である人間様の勝手な(?)都合で、誰が、次代の墓守をするのであろうか?本当に、御犬様は、果たして、草葉の陰から、喜んでいるのであろうか?初七日、49日、1周忌、3回忌、等、信仰心の厚い飼い主様は、その都度、お布施と管理料と供物・読経代金を、お支払いし続けるのであろうか?何とも、飼い主の我が儘とは言わぬまでも、若干、こうした傾向には、行き過ぎた動物愛護の精神を感じないこともない。何が、家族同然だった犬にとっての幸せなのか、私は、まもなく5ヶ月近く経過するが、未だに、自問自答することがある。喜びも悲しみも、家族の記憶の中に、写真とともに、いつもあり、すやすやと、気持ちよさそうに、寝ている写真が、こちらに、何かを問いかけているように、思えてならない。自分の人生が終わるその時まで、ずっと、忘れないからねと、、、、、、。そして、家族の愛犬として、一緒に過ごした時間は、ラッキーには、幸せだったのだろうか?と、、、、、、、。