小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

文芸別冊、「赤塚不二夫」追悼を読む:

 

文芸別冊、「赤塚不二夫」追悼を読む:

 

いつものチャイを飲みに、茶房、「読書の森」のおきまりのカウンター席に、座ると、ふと、この雑誌が、眼に飛び込んできた。どうやら、向こう側から、是非、この本を読んでみたら如何でしょうかとも、言わんばかりであったような気がしてならない。何とも、皮肉なことに、入稿当日の未明に、(20088月)当のご本人様が逝去されてしまったので、急遽、追悼の二文字が、表紙の右上に、加わることになってしまったらしい。我々の世代は、漫画でも、子供の頃は、未だ、トキワ荘時代出身の手塚治虫鉄腕アトムや、鉄人28号の時代だから、赤塚不二夫が世に出てくる頃には、既に、少年期は卒業していた訳だから、具体的に、その作品を漫画本として、よく読んだという記憶はあまりない。むしろ、断片的に、おそ松くんやバカボンなどに登場するキャラクターを通して、赤塚不二夫なる天才ギャグ漫画家が持つ「独特の思想性」に、興味を抱き続けていたと云ったほうが正解かも知れない。過酷な漫画業界の中でも、とりわけ、ギャグ漫画家は、ストリー性のある漫画家に較べて、5年持てば良い方であると云われているらしいが、赤塚不二夫は、そんな中、燦然と輝く存在感であったのであろう。「笑い」というものは、こうして、この特集誌を読んでみると、なかなか、「ある種の思想性」に富んだ面白いものである。決して、小説家の一段ランク下に評価されるべきものではなさそうである。一寸、戯れに、電子辞書で、(最近では、本ではなくて、電子辞書が便利になってしまった)調べてみると、「ギャグ」とは、筋と関係無く挿入される即興的な台詞、「ユーモア」とは、上品で、機知に富んだ洒落、「洒落」とは、その場にあった気の利いた人を笑わせる文句、「冗談・ジョーク」とは、ふざける、たわむれを云う話、「パロディー」とは、著名な作品、文体などの一見してそれと分かるように部分を残したまま、風刺、滑稽な感じにさせるように、作り替えた作品、本歌とり、狂歌、替え歌、等、「コピー」とは、本物を似せたもの、「ナンセンス」とは、意味のないこと、馬鹿馬鹿しいこと、くだらないから、止めろという気持をこめて云うこと、成る程、こうして、改めて、この漫画に冠する装飾詞としては、改めて、「その思想性」が垣間見られそうなきがしてならない。ナンセンス・ギャグ漫画、どうしてどうして、今にして思えば、「当時の一種の狂歌」のような表現だったのかも知れない。それは、明らかに、手塚治虫にも、藤子不二雄にも、石ノ森章太郎にも真似の出来ない、ハチャメチャな破天荒な人生そのものの表現作品だったのかも知れない。思えば、並木座で、高倉健の任侠映画を見ていたときも、観客から、当時は、「ナンセンス」等という掛け声や、ノン・セクトの中では、既存セクトへのパロディーではないが、「ニャロメ派」なる旗をかざしているのを見かけたものである。そんなところにも、反骨精神に富むこの教育勅語に育てられた多感な幼少年時代を過ごして終戦を迎えた漫画家の心に、そのパロディー化された様々なキャラクターを通じて、(ピストルを乱射する警官や、反骨精神旺盛の猫等や)その思想性に、共振したのかも知れない。もっとも、娘さんのインタビューには、ギャグを漫画だけでなくて、夫婦揃って、実生活までを演じてしまったのには、流石に、子供心が、何故、折れなかったのかとも、、、、、、。両親が破天荒なときには、子供はどうしたらよいのであろうか?もっとも、タモリや、タコ八郎や、果ては、ドンキーカルテットまで、芸人の潜在的な才能を見通すある種の能力も備わっていたことも事実であろう。文芸評論家が、解析する如く、前近代性と近代性、漫画の構造というか、表現の約束事を破壊しながら、且つ、自己矛盾を提示しつつ、シュールで、マニアックな自己言及ギャグを笑い飛ばす手法、確かに、これでは、上述の3巨匠にも、流石に、この分野には、手が出せないことだったのであろう。それこそ、赤塚不二夫独特の世界観だったのであろう。それにしても、往事を振り返ってみれば、漫画家も、ある種その時代背景を背負って、世に出てくるものなのかも知れない事が理解されよう。病院でも、見舞客が密かに、禁を犯して、酒を差し入れに持ってきたら、もう既に、戸棚の中は、酒だらけだったとか、、、、、、。幻覚とアル中の中で、最期の最期まで、この漫画家は、入院生活までも、パロディー化、ブラック・ユーモア化、ギャク化してしまって、そして、その果てに、逝ってしまったのであろうか?結局、「これでいいのだ!」とは、まるで、禅問答の哲学用語のような響きが残るようである。植木等の「分かっちゃいるけど、止められない」と、赤塚不二夫の「これでいいのだ!」は、名言であろう。若い漫画家の中で、これから、彼を超える破天荒な漫画家が、出てくるのだろうか?