小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

フルーツ・トマトの形状に見える日本農業:

 

フルーツ・トマトの形状に見える日本農業:

 

昔、日本の商品の特徴を、「重・厚・長・大」に対して、「軽・薄・短・小」と言う言葉や、「安・近・短」とか、「安い・うまい・速い」というキー・ワードで、そのトレンドまでも、良く言い表したものであるが、まさに、最近のトマトの形状を眺めていると、成る程なあとも思えてしまう。昔、子供達が小さかった頃、本の形状をした水耕栽培だったかどうかは忘れたが、ミニ・トマトが、室内やベランダでも簡単に出来るというので、夏休みの自主研究の課題のために、作ったことがあったのを想い出す。随分簡単に、そこそこのレベルのミニ・トマトが、無農薬でも出来るものであると感心したことを覚えている。栽培農家の高齢化に伴い、収穫も、栽培も、箱詰めも、すべて、持ち運びまで、軽量で、簡便に出来る旨を、プロは、常に研究していて、物流も含めて、更には、店頭までのサプライ・チェーンを如何に、効率よく、且つ、無難に、こなすことが可能かどうかを常に、日本という国は、研究・競争しているようである。昔は、取れたてのトマトをタライに冷たい井戸水を濯ぎ、そこに、大きな氷でも入れて、冷やしておいて、おやつにも、ガブリと食いついたものである。今や、何と、フルーツ・トマトというような名称で、形も一口おちょぼ口サイズで、丸型、或いは、少々、楕円がかったイタリアン・トマトのような形のものまで。色も、赤や、オレンジ、黄色と、味も、又、甘くなり、フルーツのような感覚で、或いは、サラダ感覚で、パクリと食べられてしまう。成る程、これなら、収穫も鋏を入れれば、連なって収穫も出来、又、軽量だから、運搬も左程、重たくはない。しかも、これまでは、まな板の上で、ヘタを包丁で切ったり、切ろうとすると、グシャッとつぶれてしまったりと、結構、悩ましいものであったが、今日、指先で、水洗い後に、一寸、捻ればヘタも訳なくもぎ取れて、すぐ、口に入れられよう。時代のニーズというよりも、栽培者のニーズが、市場の嗜好性までも、変えうる力を今日では、有しているのかと思えば、何か、フルーツ・トマトを食していても、少々、面白くなるものである。流石に、未だ、四角いスイカは、一般流通に、至っていないものの、近い将来、果たして、思惑通り、市場に流通するのであろうか?ナガノ・パープルやシャイン・マスカットではないが、種なし・皮ごと食べられる葡萄とか、どんどん、知恵を絞れば、まだまだ、日本農業は、TPPの中でも、十分、生き残れるのではないかとも思われるが、、、、、、、。今年、初めて、川中島という桃を食したが、それ以外にも、皮ごと食べる堅い桃というものを生まれて初めて、食した。何でも、山梨県の南部では、桃と云えば、皮ごと堅い桃を食べるのが当たり前とかで、やわらかい桃は、敬遠されるとか云われているらしい。成る程、逆転の発想ではないが、ものは、考えようであるし、マーケティング手法には、変な憶測と先入観は、確かに、棄てるのが鉄則であるのかも知れない。まだ、あまり、東京では見かけないが、、、、、。なかなか、美味しくて、来年も食べてみたいと思いました。ハウス・ミカンではないが、これの進化するであろう究極のミカンは、きっと、小さな一口サイズで、皮ごと食べられるようなものになるのであろうか?魚だけでなくて、フルーツや野菜の消費量が減少傾向にあると云われているが、農業は大丈夫だろうか?モノグサでグズを自認する私などには、ありがたい話ではありますが、、、、、、。