小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

新しい言葉の表現としての歌謡曲:

 

新しい言葉の表現としての歌謡曲:

 

歌手の由紀さおりが、山ろく清談のなかで、一寸興味深いことを言っている。日本語は、美しい言葉の響きがあって、リズムではなく、旋律の言葉で、歌謡曲の系譜は、その流れの中であると、歌謡曲には、20曲あれば、20人の女性像が在り、人生の一コマ一コマを謳い分けるのが、歌手であると、成る程、今は、シンガー・ソング・ライターも自分の事しか歌わないし自分の思いを伝えて共感してもらうが、今の若い人の歌は、鼻濁音を使用せずに、表現も直接的な文言であると、、、、、。そうしてみると、ニュー・ミュージックや、フォークが出てきたときには、一体、当時は、どのように、評価されていたのであろうか?演歌の方からすれば、困ったものであると、思われていたのであろうか?それでも、未だ、今に較べたら、マシな方で、美しい言葉の響きがあって、旋律に乗ったメロディー・ラインだったのであろうか?新しい言葉の表現として、童謡や唱歌や歌謡曲は、今日でも、その時の記憶と同時に、継承されて行くことであろう。そこに、何かが初めて伝わることになるのであろうか?美しい旋律、美しい言葉で、美しい歌い方で、或る日、突然、国民的な大ヒット曲が出てくるのであろうか?それとも、そんなことは、今や、望むべくもないことなのであろうか?又、小林秀雄の「美しい花がある。花の美しさというものはない」と言う言葉が、想い起こされてしまう。唄の美しさ、歌い方の美しさ、旋律の美しさ、言葉の美しさとは、一体、どういうものを指すのであろうか、