小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

呉善花氏の韓国入国拒否と東アジア杯横断幕掲載を考える:

呉善花氏の韓国入国拒否と東アジア杯横断幕掲載を考える:

さしずめ、石原慎太郎であれば、「朝鮮人が、、、、、」というところであるが、或いは、呉善花氏に対しても、「第三国人が、、、、」というところであろうが、ここでは、「その民族のDignity」を尊重して、「朝鮮民族」という言葉にしてみたい。あまり、大きな新聞記事では無いものの、小さく、何でも、親族の結婚式列席を目的に訪韓したところ、仁川空港で、入国拒否を受けてしまったそうである。もっとも、それが、二度目のことであるとは、新聞には、書いてなかった。よく、履歴を知らないので、(多少は、著作に関しては、聞いたことがあるものの、詳しくは、読んだことがないので、)これを機会に、読んでみることにしたい。「親日派」とは、実質的に、かの国では、「売国奴」に近い響きがあることも事実であろう、「知日家」という言葉でも、この元韓国籍日本国籍取得で帰化した評論家の立場は、ハングル文字の漢字表記復帰を巡る議論とか、日帝やら韓国併合評価を巡る歴史認識議論とか、幕末時の攘夷と開国を巡る両国の内実など、歴史認識という問題点からも、なかなか、思い切った勇気ある発言をしていることも事実であろう。もっとも、ある筋からによれば、同氏の裏には、ゴーストライターの影もちらつくとも云われていて、まさに、日韓関係、北朝鮮同様、情報戦さながらの暗闇であるようである。しかしながら、それらを差し引いたとしても、二度に亘る入国拒否が、反韓国的な言辞というだけの理由から、入国拒否したとは、まるで、父親の朴大統領の軍事政権下であれば、まだしも、何とも、かの国の対応は、同じ朝鮮民族、同胞に対して、なかなか、理解しがたいものがある。それとも、日本国籍取得で、帰化した以上、「親日派のレッテル」を貼られてしまったからなのであろうか?何とも、不可思議な、しかも、二度目でもある。一度目は、日本政府は、抗議したらしいが、今回は、抗議するのであろうか?それよりも、何よりも、更に、驚くべきこの「朝鮮民族」のサッカー国際試合に於ける常軌を逸した暴挙(?)である「歴史を忘れた民族に未来はない」という横断幕を掲げた行為自体、そして、更に、メディア取材に際して、観客の一部が、スポーツの世界で、主張するのは、朝鮮民族として当然である、等とコメントする姿を見るに付け、これが、本当に、「同じ価値を共有する同盟国」なのかとすら、思ってしまう。オリンピックでのパフォーマンスで、余りに甘いFIFAによる国際試合ルール違反処分だったから、性懲りも無く、又、同じことをするのだというネトウの主張も、まんざら、当を得ていないとは言えなくもなかろう。日本という国は、海外移民政策で、極力、摩擦を起こすことなく、現地化、血も、言語も、習慣も、すべて、when you are in Rome, you must obey Roman Lawという方針であったのであるから、当然、日米開戦時には、当然の如く、英語で、米国籍で、日本と闘った訳であるし、それを今日の日本人は、当時の日系人達を、「親米派」という言葉で、扱うことは、決してないし、ましてや、売国奴扱いなどするはずもない。むしろ、日本人として、よくぞ、米国に、真の命を捧げ給いて、忠誠を誓ってくれて有り難う御座います。むしろ、それこそが、日本人の誇りです、とこんな風に、考えるかも知れません。在日華僑にしても、在日朝鮮民族としても、もっと、祖国の為を思って、大きな声で、独自の意見を、声高に、挙げてもおかしくないのでなかろうか?そういう中立的な立場というか、双方の気持が理解出来る、共感できる立場の人達こそ、華僑、ならぬ、日僑ならぬ、在日ならぬ、朝僑たり得るのではないだろうか?そんな「橋渡しの役割」が、欲しいものである。そういう勇気のある発言が出来る「新しい価値観を有した世代の登場」を、待ち望む次第である。もういい加減に、李朝からの矮小な「小中華主義思想と日本蔑視思考」から、脱却しないと真の価値観の共有などは程遠いのではないだろうか、団塊の世代には、まるで、暗黒の「金芝河の時代」に戻ってしまったような気がしてならないが、、、、、。一寸、考えすぎだろうか?(ハングル名は、ここではやめてみました、悪しからず)、もっとも、日本人も、他人事のように、揶揄していても、始まらないが、、、、、、、。